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{{出典の明記|date=2015年6月}}
'''妙泉寺'''(みょうせんじ)は、[[静岡県]][[富士宮市]]に所在する[[日蓮正宗]]の寺院。山号は祈願山(きがんさん)。
 
==祖山大石寺への回帰の経緯==
{{観点|百科事典の記事として問題|date=2015年6月}}
妙泉寺は天正5年に北山(重須)[[本門寺]](現在の単称日蓮宗大本山)第10代住職の日殿上人によって開基された。しかし本山である北山[[本門寺]]の大謗法(宗祖日蓮および開山日興の教義に違背)に与同(賛同)できず、また北山[[本門寺]]の[[末寺]]でありながら日蓮宗正統派とされる日興門流(富士門流)の祖山である総本山大石寺の秘仏・日蓮真筆「本門戒壇大御本尊」を古くから信仰し渇仰していたことから、日興門流(富士門流)の源流(みなもと)に還るべく昭和31年に北山本門寺の大謗法と決別して離脱し、[[日蓮正宗]]総本山大石寺に帰一した。
また妙泉寺の檀衆には[[日蓮正宗]]の別格本山に相当する多宝富士山下之坊に詣でる「下之坊詣(しものぼうもうで)」の習慣が古くからあった。日興を開基とする多宝富士山下之坊は祖山大石寺よりも開創が古く、'''「日興門流(富士門流)発祥の聖地」'''とされていた。このため日興門流の多くの寺院では檀衆による団体参拝(現代の言葉で言えば「団参」であるが当時は「講」と言っていた)が行われていたが、北山[[本門寺]]の本末の中で昭和初期まで下之坊詣をしていたのは妙泉寺の檀衆だけである。このことが妙泉寺が帰一する要因となった。
 
==起源と歴史==
* [[1577年]]([[天正]]5年) - [[北山本門寺|北山(重須)本門寺]]住職の[[日殿]]上人によって開創される。
* [[1876年]]  [[北山本門寺]]とともに[[日蓮宗興門派]](本門宗)の発足に参加
* [[1941年]]  [[宗教団体法]]にもとづく[[三派合同]]。旧[[本門宗]]所属の[[富士門流]]寺院は[[日蓮宗]]の内部で[[興統法縁会]]を組織。