「小川邦和」の版間の差分

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翌{{by|1978年}}、反骨心から野球放浪を始める。単身渡米して[[日本人選手のメジャーリーグ挑戦|メジャーリーグに挑戦]]。史上初の日本人メジャーリーガーである[[村上雅則]]が野球留学中にスカウトされて以降は誰も挑戦する選手はなく、周囲も暴挙と揶揄した。この時代、小川の挑戦は日本では全く報道されなかった。
 
{{by|1979年}}から{{by|1980年}}の2年間は[[ミルウォーキー・ブルワーズ]]傘下の[[マイナーリーグ]]球団(1979年は3A[[サクラメント・リバーキャッツ|バンクーバー・カナディアンズ]]、1980年は2A[[ホールヨーク・ミラーズ]])でプレーしたが、メジャーに昇格することはなかった。小川自身、最初からメジャーに挑戦しようという気持ちはまったくなく、野球の勉強が主眼で、英語の学習と実用が目的だった。たまたまシアトル・マリナーズのキャンプに参加できたことがきっかけで、前述の[[マイナーリーグ]]に所属することになった。3年目のホールヨーク・ミラーズ時代は非常に調子が良く、周りからもメジャーでやれると言われて、自身もその気になったが、チームからは「来年は契約しない」と言われ帰国することにしたと話している<ref name="野球小僧" />。小川の後、[[日本プロ野球]]を引退してメジャー挑戦した日本人選手は1985年の[[江夏豊]]がいるが、その後は[[野茂英雄]]まで10年のブランクが開いた<ref name="野球小僧" />。
 
アメリカのサイト[http://www.baseball-reference.com/minors/player.cgi?id=ogawa-001kun Baseball-Reference]で、小川の生年月日が間違っているのは、当時アメリカのスカウトが「トウが立ってちゃ雇ってくれない。年をごまかしておけ」と勧めたためという<ref name="野球小僧" />。
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=== 引退後 ===
その後[[千葉ロッテマリーンズ]]一軍投手コーチ({{by|1994年}})・二軍投手コーチ( - {{by|1995年}})、韓国・[[三星ライオンズ]]投手コーチ({{by|1997年}} - {{by|1998年}})、[[文化放送]]や[[NHK衛星第1テレビジョン]]の[[野球解説者]]、[[日刊スポーツ]]野球評論家、[[横浜ベイブルース]]コーチ、{{by|2001年}}からメジャーリーグ[[マイアミ・マーリンズ|フロリダ・マーリンズ]]の[[極東]]スカウトを経て、[[ピッツバーグ・パイレーツ]]の極東スカウトを務めた。
{{by|2001年}}からメジャーリーグ[[マイアミ・マーリンズ|フロリダ・マーリンズ]]の[[極東]]スカウトを経て、[[ピッツバーグ・パイレーツ]]の極東スカウトを務めた。
 
三星コーチ時代、3年連続Bクラスに低迷していたチームを建て直し、2年連続プレーオフ進出に貢献。
 
また、[[プロ野球マスターズリーグ]]にも参加しながら[[東京都]]内で[[シニアリーグ]]の指導にもあたり、[[日刊ゲンダイ]]と契約して巨人の記事にコメントを寄せていた。
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2009年、[[九州総合スポーツカレッジ]]硬式野球部の投手コーチに就任。
 
=== 指導歴 ===
* 1994年 千葉ロッテマリーンズ 一軍投手コーチ
* 1995年 千葉ロッテマリーンズ 二軍投手コーチ
* 1997年-1998年 三星ライオンズ 投手コーチ
* 横浜ベイブルース 投手コーチ
* 九州総合スポーツカレッジ 投手コーチ
 
== 詳細情報 ==