「プトレマイオス3世」の版間の差分

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[[ファイル:Octadrachm Ptolemy III BM CMBMC103.jpg|thumb|Gold coin depicting Ptolemy III issued by Ptolemy IV to honor his deified father.]]
'''プトレマイオス3世エウエルゲテス'''([[ギリシャ語|希]]:{{lang|el|'''Πτολεμαίος Γ' Ευεργέτης'''}}、[[英語|英]]:Ptolemy III Euergetes、在位[[紀元前246年]]-[[紀元前222年]])は、[[古代エジプト]]の[[プトレマイオス朝]]の[[ファラオ]]。父は[[プトレマイオス2世]]、母は[[アルシノエ1世]]。妻は[[ベレニケ2世]]。子には[[プトレマイオス4世]]、[[アルシノエ3世]]がいる。'''恩恵王(エウエルゲテス)'''と称され、プトレマイオス朝の全盛時代を築いた。
 
== 治世と事業 ==
[[紀元前246年]]、[[プトレマイオス2世]]の死後、ファラオとなる。[[キュレネ]]王[[:en:Magas of Cyrene|マガス]]の娘[[ベレニケ2世]]と結婚し、キュレネ地方との結びつきを強化した。姉妹でシリアの[[セレウコス朝]]に嫁いでいた[[:{{仮リンク|ベレニケ (セレウコス朝シリアの王妃)|en:|Berenice (Seleucid queen)|label=ベレニケ・フェルノフォラス]]}}が、夫[[アンティオコス2世]]と復縁した前妻[[ラオディケ1世]]により殺害されると、報復としてシリアへ侵攻し、'''第三次[[:{{仮リンク|シリア戦争 (プトレマイオス朝)|en:|Syrian Wars|label=シリア戦争]]}}''' ([[紀元前246年]] - [[紀元前241年]]) を引き起こした。シリアの首都[[アンティオキア]]を占領し、[[メソポタミア]]の[[セレウキア]]にまで到達し略奪を行なうなど大勝利を収めた後、エジプト国内での凶作・内乱を受けて帰国した
 
[[ファイユーム地方]]への植民活動を奨励し、文化活動の保護・君主崇拝の強化、暦法の改革を行なうなど、内政面においても優れた統治能力を発揮した。
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== カノープス勅令 ==
プトレマイオス3世は、死亡した王妃を記念する新しい祭典の執行を命じる[[カノプス勅令|カノープス勅令]]を出した。その碑文が現存している。この碑文はヒエログリフ(聖刻文字)、デモティック(民衆文字)、ギリシア文字の3種で刻まれている。
 
== 関連項目 ==
* [[シリア戦争]]<sup>(曖昧さ回避)</sup>
 
 
{{プトレマイオス朝ファラオ}}