「山本七平」の版間の差分

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後に、[[1987年]]の[[PHP研究所]]主催の研究会では以下のように説明している。
 
山本書店を始めた頃に[[帝国ホテル]]のロビーを[[原稿]]の[[校正]]作業にしばしば使用していたところ、[[フランク・ロイド・ライト]]のマニアということがきっかけで、ジョン・ジョセフ・ローラーとその友人ミンシャ・ホーレンスキーと親しくなった。[[キリスト教]]が日本に普及しないのはなぜかという問題意識のもと、3人でいろいろ資料を持ち寄って話し合っているうちに、まとまった内容を本にしたのが『日本人とユダヤ人』である。ベンダサン名での著作については、ローラーの離日後はホーレンスキーと山本の合作である。ローラーは[[在日米軍]]の海外大学教育のため来日していたアメリカの[[メリーランド大学]]の教授で、1972年の[[大宅壮一ノンフィクション賞]]授賞式にはベンダサンの代理として出席した。ホーレンスキーは[[特許]]関係の仕事をしている[[ウィーン]]生まれのユダヤ人、妻は日本人<ref>山本七平「一出版人の人生論」『Voice』[[PHP研究所]]、1992年3月、特別増刊山本七平追悼記念号、28-30頁</ref>。
 
==== 山本死後の扱い ====