「越智氏」の版間の差分

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(考察、検証)、孝霊天皇、皇位を退き、其の子等は伊豆へ流刑、皆伊豆の十六皇子の由緒及び墓所伝説に繋がる造り事、偽書の多きは小千、越智との突然の繋がり由緒出自筋在所繋がり、内容が乏しく文献時代検証無い、墓所有是拠り繋がりの文節多く偽書也、他の文献に同等の記録が無い、例えば(朝廷送書、菅唱舎人阿礼筋目注進案書)代官、神官注進案、及び返書記録無い、厳島宮記録文献等、三島宮文献、捏造文書と有り、藤原雄友を伊豫国に配流し二年を経て、弘仁元年四月免罪入京せしこと疑問あらんや、令制國府所在地成れば越智郡内成る者、の流罪囚人無縁の地、及ぶが如き捏造せし事是偽書也、嵯峨帝の準皇子として養子に成ると有る、玉純の十四世家時子無きを得て恒武の皇子を養子とし、足利時代河野氏伊豫國の領主也、又王宮墓と称する是伊豫神社の裏背面に伊豫親王墳墓と伝わる五輪搭有り、(先年故有て是発堀せし事、明治時代)経筒有り経塚是也、天皇、又越智天皇、(某系藤原)(伊豫皇子偉彦狭島樽伝)代々の事柄見得疑しき書さま也、(孝霊皇子彦狭島之事耐不知)同名別人也、文字乏しき時代、伊豆の十六皇子の繋がりを捏造、古文書偽造物多く有る。越智河野系図に由緒無き事明白是也、    書編集菅井上頼國、
 
==松山市教育委員会へ文書送付済み参考案件==
(参考、現在越智河野土居の中ノ子沫裔として現在一族者存在する、)愛媛県生涯学習センターの寺院豪族の案内の、中ノ子廃寺家伝伝承の口上由上げる緒諸違いの事有り、現在存続する一族事柄の問題承知頂きお願い申し上げます。口伝伝承の事、廃寺では無く先祖豪族の館と訊き神社及び寺形式の社が存在と訊き及び申す事也、屋敷内部一族専用の護身を祭る祭事の社と、先祖敬う寺先祖位牌鎮座と代々中ノ子は聞き及び細川一族の奇襲を受け焼失した、寺構えの豪族屋敷の跡です、松山近在は、中ノ子地名山間部多い、説明の無き事疑問有り、当時の家系は母系家族で男は外で戦し嫁母は家を守る、中ノ子母方は藤原一族也、中ノ子氏は景行天皇の次男の母里風早押河野郷で有り日妃酢暖姫の末裔天皇家との母方出自の関係深く明治天皇妃母方中山家母方祖母、紀伊暖姫中子裔、天皇系図顕彰下さい、小千命に始まり越智宿禰 越智直 越智大領 三島大祝と続き申す也、三十三代玉興拠り河野家分離、土居の中ノ子河野家一族、(大化改新に拠り祭り政分離で越智、河野家に分かれる、)三十三代玉興拠り四十九代道有四兄弟道成拠り土居中ノ子五十九代在中ノ子、
 
 
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