「濫用」の版間の差分
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[[b:民法第1条|民法1条]]3項は、「権利の濫用は、これを許さない。」と規定する。
日本民法で「濫用」の文字を初めて使用したのは、親権濫用についての旧896条([[b:民法第834条|現民法834条]])である<ref>[[平野義太郎]]『民法に於けるローマ思想とゲルマン思想』(大正13年、有斐閣)69頁</ref>。
直接には濫用という言葉こそ使わないものの、権利の行使の限界に関して一般的規定を設けた最初の法典は、[[1794年]]の[[プロシア]]普通国法([[プロイセン]]一般ラント法)である<ref>[[平野義太郎]]『民法に於けるローマ思想とゲルマン思想』(大正13年、有斐閣)171頁</ref>。これは、[[ドイツ]]の通説によれば、他人を害する目的でなされた権利行使に限って個別的・例外的に禁止するという[[ローマ法]]におけるシカーネ禁止法理と同様の立場を採ったものと説明されている<ref>[[末川博]]『権利濫用の研究』(昭和24年、岩波書店)75、113頁、谷口知平・石田喜久男編『注釈民法(1)総則(1)改訂版』(平成14年、有斐閣)150頁</ref>。
このような個人の権利行使の限界を定める法理は、[[アンシャン・レジーム]]に対する反動として[[フランス民法典]]でいったん否定されたが<ref>[[末川博]]『権利濫用の研究』(昭和24年、岩波書店)4頁</ref>、過度の[[自由主義]]の弊害が明らかとなったことから[[19世紀]]半ばには[[フランス]]で学説として主張されていた「権利濫用」の法理が判例によって採用され始め、[[ドイツ民法]]や[[スイス民法]]も明文で立法化するなど<ref>末川博『権利濫用の研究』(昭和24年、岩波書店)115-117頁</ref>、権利濫用は[[20世紀]]に入って重要な法理として展開されるようになる<ref name="saibantosyakai">『裁判と社会―司法の「常識」再考』ダニエル・H・フット 溜箭将之訳 NTT出版 2006年10月 ISBN:9784757140950』</ref>。日本にもその法理が[[牧野英一]]や[[鳩山秀夫]]らによって紹介されて、判例・学説に対して大きな影響を与える<ref>谷口知平・石田喜久男編『注釈民法(1)総則(1)改訂版』(平成14年、有斐閣)153、154頁</ref>。[[明治時代]]の初期においても、流水権や[[戸主]]権といった前[[近代]]的な権利について、判例
なお、[[英米法]]では、[[個人主義]]的な権利思想を維持して<ref>末川博『権利濫用の研究』(昭和24年、岩波書店)7頁</ref>、[[大陸法]]におけるような全ての権利についての包括的な権利濫用禁止法理を認めていない<ref>谷口知平・石田喜久男編『注釈民法(1)総則(1)改訂版』(平成14年、有斐閣)151頁</ref>。
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