「サウスカロライナ州」の版間の差分

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20世紀初期、サウスカロライナでは繊維産業が隆盛した。農業は綿花からより利益の出る作物に転換し、軍事基地を誘致し、観光産業を創り出した。21世紀に入ると、法人所得税5%、資産税の州分無し、地方所得税無し、在庫税無し、製造機器・工業用電力・完成品材料に対する消費税無し、卸売り税無し、世界的な利益に対する統一税無しで、新企業を誘致した<ref>[http://sccommerce.com/sc-advantage/pro-business-environment, "SC Department of Commerce", Accessed on May 10, 2012]</ref>。
 
1962年州会議事堂に掲げられた[[アメリカ連合国の国旗]]を巡って議論が続いてきた。州会議事堂はサウスカロライナ大学キャンパスのすぐ隣にあるので、裁判所が命令した学校の人種統合命令に対して講義抗議しているように見られた<ref>{{cite book|last=Gold|first=Victor|title=Liberwocky: What Liberals Say and What They Really Mean|year=2004|publisher=Thomas Nelson|isbn=978-0-7852-6057-8|page=117|url=http://books.google.com/books?id=VORyHHZvVEQC&pg=PT117}}</ref><ref>{{cite book|last=Watts|first=Rebecca Bridges|title=Contemporary southern identity: community through controversy|year=2008|publisher=UP of Mississippi|isbn=978-1-934110-09-6|page=89|url=http://books.google.com/books?id=saO6CPN_lRwC&pg=PA89}}</ref>。1994年、この旗を降ろすよう求めた訴訟が起こされた<ref>{{cite book|last=Hornsby|first=Alton|title=Southerners, too?: essays on the Black South, 1733–1990|year=2004|publisher=UP of America|isbn=978-0-7618-2872-3|pages=x|url=http://books.google.com/books?id=0TWyDQ4iytMC&pg=PR9}}</ref>。2000年7月1日、サウスカロライナ州はフリッツ・ホリングス州知事が在任の1962年に掲げた旗を降ろし、そのようにした州としては最後のものになった。2000年4月12日に州上院で、旗を降ろす法案が賛成36票反対7票で可決された。その法案ではアメリカ連合国旗を州会議事堂の前庭にある戦争で倒れた南軍兵のための記念碑に並べて掲げることとしていた。州下院ではこのことに関する議論が白熱し、記念碑の側に掲げるアメリカ連合国旗掲揚台の高さを30フィート (9 m) とすることを付け加え、法案は賛成66票反対43票で可決された<ref>
{{cite news | last=Brunner| first=Borgna |title=South Carolina's Confederate Flag Comes Down | date=June 30, 2000 | url=http://www.infoplease.com/spot/confederate4.html| accessdate=April 19, 2007 }}</ref>。記念碑横に掲げられた旗はさらなる議論の火付け役となった。[[全米黒人地位向上協会]]はサウスカロライナ州に対する経済的ボイコットを続けている。[[全米大学体育協会]]は、サウスカロライナ州が協会の行事を主催することを、それが前もって決まっていたことでも拒否している。2009年7月6日、[[アトランティック・コースト・カンファレンス]]は、サウスカロライナ州がアメリカ連合国旗を掲げ続けていることに関する全米黒人地位向上協会の抗議を取り上げ、サウスカロライナ州から今後3回の野球選手権を外す決定を表明した<ref>
{{cite news