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言語の面では[[先史時代]]の[[トシュチニェツ文化]]が基層と推測されるが、政治・文化面ではその後の[[ルサチア文化]]、[[チェルノレス文化]]、[[プシェヴォルスク文化]]、[[ザルビンツィ文化]]、[[チェルニャコヴォ文化]]、[[デンプチン文化]]などの発展や混交の過程を通じて地方ごとに諸部族と各地それぞれの文化が形成されたものと推定され、スラヴ語圏全体に共通する文化的な要素が希薄であるのはこれが理由と考えられる。[[ヘロドトス]]の『歴史』に登場する[[スキタイ]]のうち農耕スキタイ人はウクライナ北西部のスラヴ系諸部族のことであると推定され、これはチェルノレス文化に相当する時代。当時この地方の人々は穀物の栽培や輸出を盛んに行なっていた。
 
スキタイの基幹民族である遊牧系の王族スキタイの遺骨から抽出された遺伝子と現代のスラヴ人の遺伝子を検査したところ、スキタイと一致する[[Y染色体ハプログループ]]である[[:en:HaplogroupハプログループR1a R-M17(Y染色体)|R-M17 P18ハプログループR1a]](R-M420)がスラヴ人の多くを占めていることが判明した。スラヴ人はこのほか西欧系の[[ハプログループR (Y染色体)#R1b系統|ハプログループR1b]](R-M343, P25)も多く含んでおり、これはスラヴ人がもともと西欧系の種族であった証拠でもある。このため、王族スキタイなど遊牧系のスキタイは西欧系の農耕スキタイとの婚姻により農耕スキタイ(スラヴ人)に吸収同化されて現代に至っているのであり、スラヴ人はスキタイの直系の末裔であると言える。また[[サルマタイ]]の影響も強く受けている。
 
[[中世]]初期の[[民族移動時代|民族大移動]]における考古文化の[[プラハ・ペンコフ・コロチン文化複合]]は、当時のスラヴ語圏諸部族のうちウクライナにおける政治集団が[[ポリーシャ]]から[[ヨーロッパ]]全域に拡張し各地で影響を及ぼした痕跡と考えられる。それ以前は[[西スラヴ語群]]の元となった系統の諸部族と[[東スラヴ語群]]の元となった系統の諸部族は、政治的にも文化的にも断絶が続いていた時期が長いことが判明している。
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