「ジョン・ナッシュ」の版間の差分

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1950年代の中頃に[[サンタモニカ]]で逮捕されたことが原因で[[ランド研究所]]でのポストを失った。この事件でのストレスから結婚を考え始め、[[1957年]][[2月]]に[[エルサルバドル]]出身でMITの学生であったアリシア(Alicia Lopez-Harrison de Lardé)と結婚する。
 
[[1958年]]、アリシアが妊娠し、また、29歳の若さでMITの終身職員の権利を得る。しかし、この頃から異常な言動が目立ち始め、[[1959年]]に病院で検査を受けた結果、現在で言うところの[[統合失調症]]であると診断される。この頃、ナッシュは数学界最大の難問とも言われる[[リーマン予想]]の証明に専心しており、そのあまりの困難さが彼の精神をむしばむ要因となったとする見解を示す者もいる。
 
[[1959年]]、MIT職員を辞職し、ヨーロッパとアメリカを放浪する旅に出る。[[1960年]]にプリンストン大学に復帰し、病気の治療で入退院を繰り返しながらも数学の研究を再開した。この頃の病状は非常に重く、大学構内を無為に徘徊することもあり、「ファインホールのファントム」等と言われることもあった<ref>{{Cite book |和書 |title=ビューティフル・マインド 天才数学者の絶望と奇跡 |author=シルヴィア・ナサー |year=2002}}</ref>。
 
[[1963年]]にアリシアと離婚。しかし、アリシアは[[1970年]]にナッシュを夫としてではなく、同居人の形で引き取り、彼の闘病生活を支えることを決心した。この頃からナッシュの病状は少しずつ回復のきざしを見せ始める。
 
[[1978年]]には[[カルトン・レンケ]]とともに[[ジョン・フォン・ノイマン理論賞]]を受賞する。この受賞対象となった仕事は後にノーベル経済学賞を受賞するナッシュ均衡に関する仕事と大枠では同一であるが、こちらは情報工学におけ見地から贈賞されている。