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[[2000年]]にオープン戦の開幕投手に指名されながらも重度の腰痛でシーズンを棒に振ってしまい、オフに手術した。[[2001年]]のシーズン終盤に投手として復帰したが、[[2002年]]の9月に内野手転向([[遊撃手]])。しかし、同年10月に戦力外通告を受けた。
 
[[2003年]]、[[中日ドラゴンズ|中日]]、[[福岡ソフトバンクホークス|ダイエー]]、[[千葉ロッテマリーンズ|ロッテ]]のテストを受け、ダイエーのテストに合格・入団した。内野手転向した直後に横浜から戦力外通告を受けたため、「野手転向したばかりでクビになるとは思わなかった。拾ってくれたダイエーに[[恩返し]]したい」とコメントを残している。しかし、同年8月の広島東洋カープ戦でホーム突入の際、靭帯断裂の大怪我を負う。10月にトレード要員であることを告げられ、そのまま[[自由契約]]になり現役引退<ref>[http://wedge.ismedia.jp/articles/-/5102 球団事務所のゴミ箱に捨てたトライアウトの書類 関屋智義] - [[WEDGE]] 2015年6月25日付</ref>
[[2003年]]10月にトレード要員であることを告げられ、そのまま[[自由契約]]になり現役引退。
 
引退後、会社員[[トヨタ自動車]]の営業、芸能事務所のマネージャー等の仕事を経て、[[2006年]]からに愛知県に帰郷し[[佐川急便]]に入社。中京支社軟式野球部で内野手としてプレーし、[[天皇賜杯全日本軟式野球大会]]に出場した。
 
[[2008年]]から愛知県[[安城市]]の[[ニッセイ]]の軟式野球部でプレーをしている。[[天皇賜杯全日本軟式野球大会]][[国民体育大会]]に出場し2008年の大分国体では同チームの準優勝に大きく貢献した。
* '''58''' (2002年)
* '''53''' (2003年)
 
== 脚注 ==
<references/>
 
== 関連項目 ==