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16‐17世紀にかけて[[バルト帝国]]を形成していた[[スウェーデン]]と、[[ポーランド・リトアニア共和国]]の盟主[[ポーランド王国]]との対立の中で、主な係争地帯リヴォニアにおける[[緩衝国家]]として機能した。広大な公爵直轄領における農業経営を成功させ、通商や産業の発展に努め、17世紀中葉までには経済的繁栄を達成していく。第4代公爵[[ヤーコプ・ケトラー]](在位1642年 - 1682年)の時代になると、一時は西アフリカの[[クンタ・キンテ島|聖アンドレ島]]、[[カリブ海]]の[[トバゴ島]]を植民地とした。しかし17世紀後半には、再びバルト海の覇権をめぐる国際戦争に巻き込まれ、衰微していった。また歴代公爵による宮殿や庭園、温室などの贅を尽くした建築事業も国庫を圧迫した。
17世紀の[[北方戦争]]([[大洪水時代]])と18世紀の[[大北方戦争]]([[1700年]] - [[1721年]])で一時スウェーデンに占領された。第6代公爵[[フリードリヒ・ヴィルヘルム・ケトラー]](在位1698年 - 1711年)は1710年、[[ピョートル1世
=== ロシアによる併合 ===
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