「アナベル・ウラニ」の版間の差分

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柔道は13歳の時に始めた<ref>[http://www.leparisien.fr/hauts-de-seine/annabelle-euranie-sur-les-traces-de-restoux-21-11-2001-2002601673.php Annabelle Euranie sur les traces de Restoux]</ref>。2001年の[[ヨーロッパ柔道選手権大会|ヨーロッパ選手権]]52kg級で優勝を飾った。2002年には[[グランプリ・デュッセルドルフ|ドイツ国際]]で優勝した。2003年のヨーロッパ選手権で2度目の優勝を飾ると、[[2003年世界柔道選手権大会|世界選手権]]では決勝でキューバの[[アマリリス・サボン]]に[[袈裟固]]で敗れるも2位となった。2004年の[[アテネオリンピック (2004年)|アテネオリンピック]]では準決勝で中国の[[ショウ東妹]]に[[裏投]]で敗れると、3位決定戦でもベルギーの[[イルス・ヘイレン]]に有効で敗れてメダルを獲得できなかった<ref name="Biography"/>。2005年の[[グランドスラム・パリ|フランス国際]]では優勝した。2006年に階級を57kg級に上げると、地元の[[パリ]]で開催された[[世界柔道団体選手権大会|ワールドカップ団体戦]]では優勝を成し遂げた。2007年にはモチベーションが上がらないことを理由に引退を表明した。その後結婚して子供を2人もうけた。しかしながら、2013年になると復帰を果たすことになった<ref>[http://www.lemonde.fr/sport/article/2014/02/06/judo-la-tentation-d-annabelle_4361761_3242.html Judo : La tentation d’Annabelle]</ref>。2014年の[[グランドスラム・バクー]]52kg級では、決勝で同僚の[[プリシラ・ネト]]を破って優勝を飾った。
 
[[IJF]]世界ランキングは1328ポイント獲得で7位(15/56/2529現在)。
 
==主な戦績==
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*2014年 - [[グランドスラム・アブダビ]] 3位
*[[2015年]] - [[ワールドマスターズ2015|ワールドマスターズ]] 3位
*2015年 - [[ヨーロッパ競技大会]] 2位
 
== 脚注 ==