「零式艦上戦闘機の派生型」の版間の差分

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六二型/六三型は五二型丙/五三型の胴体下に250kg爆弾の懸吊架(落下増槽懸吊架兼用)を設けた戦闘爆撃機型である。特攻機として使用された機体には500kg爆弾を搭載したものもあった。エンジンには水メタノール噴射装置を備えた栄三一型を装備予定であったが、同エンジンの開発遅延のため水メタノール噴射装置を除いた栄三一型甲/乙を搭載した(五三型の改良型である栄三一型搭載型が六三型、五二型丙の改良型である栄三一型甲/乙搭載型が六二型になる<ref name="factofzero62">野原茂『零戦六二型のすべて』(光人社、2005年) ISBN 4-7698-1257-4 序文 p1〜p2</ref>)。大型爆弾を搭載しての急降下にも耐えられるように水平尾翼の内部構造強化や胴体下面の外板厚増加も実施されている。六三型は原型の五三型同様ほとんど生産されていないが、六二型は三菱で158機、中島での生産数は不明だが数百機が生産されたとみられ、本型が零戦の最終量産型となった。
 
=== 零戦五四型/六四型(A6M8) ===るはい
五四型/六四型は五二型丙のエンジンを三菱製[[金星 (エンジン)|金星六二型]](離昇1,560hp)に換装した型である(五四型が試作機、六四型が量産機に付けられた型番である)。栄より大直径である金星搭載のため機首の13.2mm機銃は撤去されている。六四型は六二型/六三型同様、戦闘爆撃機(特攻機)としての運用も前提としていたが、純粋に戦闘機としての要望も強かった。本型式は、このエンジン換装によって本来の運動性能を取り戻したが、試作機完成が終戦直前の[[1945年]](昭和20年)4月だった上にアメリカ軍による[[空襲]]で金星六二型の生産ラインが破壊されていたため、完成した五四型試作機2機は、テスト飛行中に終戦を迎えた。[[1945年]](昭和20年)7月から生産を命じられた六四型は、時既に遅く生産中に終戦を迎えた。なお、長らく本機(五四型)の資料は確認されておらず、機首の形状は謎のままであったが、近年写真と図面が発見されている<ref>デルタ出版『ミリタリーエアクラフト』1997年3月号 No.31 野原茂「スクープ!! 零式艦上戦闘機五四型」 p74〜p77、戦後に[[三沢飛行場|三沢基地]]でアメリカ軍撮影とされる五四型の写真が掲載された。ただし写真には修正した跡があるとして、捏造である可能性も指摘された。2002年にデルタ出版が倒産、同誌も廃刊となり、真偽は長らく不明のままであったが、『<small>歴史群像太平洋戦史シリーズ33</small> 零式艦上戦闘機2 <small>最新の考証とCGで現出する不朽の名機の雄姿</small>』(学習研究社、2001年) ISBN 4-05-602655-6 第5章 零戦“再生計画”の変遷 p132〜p135 でカウリングや機首の図面が掲載されている。</ref>。この写真によると、スピナ及びプロペラは、同型エンジンを搭載する[[彗星_(航空機)#派生型|彗星三三型]]と同じ物を装備している。本型式が零戦の最終型式となった。