「マリー・アントワネット」の版間の差分
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[[ファイル:Alexander_Kucharski,_La_Reine_Marie-Antoinette_(années_1790).jpg|200px|thumb|1791年の肖像画]]
しかし、これはマリー・アントワネット自身の言葉ではないことが判明している<ref>[[#堀ノ内 & 千明 1992|堀ノ内 & 千明 1992]]
{{仮リンク|アルフォンス・カー|fr|Alphonse Karr}}は、[[1843年]]に出版した『悪女たち』の中で、執筆の際にはこの発言は既にマリー・アントワネットのものとして流布していたが、1760年出版のある本に「[[トスカーナ大公国]]の公爵夫人」のものとして紹介されている、と書かれている。実際はこれは彼女を妬んだ他の貴族達の作り話で、彼女自身は飢饉の際に子供の宮廷費を削って寄付したり、他の貴族達から寄付金を集めるなど、国民を大事に思うとても心優しい人物であったとされる。トスカーナは1760年当時、マリー・アントワネットの父であるフランツ1世([[フランツ・シュテファン]]。[[神聖ローマ帝国]][[皇帝]])が所有しており、その後もハプスブルク家に受け継がれたことから、こじつけの理由の一端になった、ともされる。
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