「トロント・ブルージェイズ」の版間の差分

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=== 1992年、1993年 ===
1992年、前年ツインズでプレーし、チームの[[ワールドシリーズ]]制覇に貢献した[[ジャック・モリス]]を獲得。また[[ロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイム|カリフォルニア・エンゼルス]]から[[デーブ・ウィンフィールド]]を獲得した。そして、彼らの活躍もあり、4度目の地区優勝を果たした。リーグチャンピオンシップシリーズでは、アスレチックスと対戦。1勝2敗で迎えた第4戦では、7回まで1対6とリードを許していたが、9回にアロマーの2ランで同点に追いつき、延長11回の末、7対6で勝利を収めた。この勝利によって流れを掴み、この後に2連勝、最終的に4勝2敗で初のリーグ優勝を果たした。また、初出場となった[[1992年のワールドシリーズ|ワールドシリーズ]]では、[[アトランタ・ブレーブス]]を4勝2敗で下し、初のワールドチャンピオンに輝いた。なお、[[アトランタ]]での第2戦のセレモニーで[[海兵隊]]カラーガードがカナダ国旗を逆さに掲げる事態が発生し、このことがブルージェイズの選手やファンを奮起させ、ワールドシリーズ初制覇を促したといわれる。また、第3戦では、外野手の[[デボン・ホワイト]]が無死一、二塁の場面で[[デビッド・ジャスティス]]の大飛球をフェンスにぶつかりながら後ろ向きで捕球する超ファインプレーをみせた。この後すぐに、一塁手の[[ジョン・オルルド]]へ返球し、飛び出していた一塁走者を刺殺。オルルドは、すぐさま三塁手の[[ケリー・グルーバー]]へ送球し、グルーバーは二塁走者にタッチした。これによって[[三重殺|トリプルプレー]]を完成させたかにみえたが、審判が見逃していたため、これはならなかった。
 
シーズン終了後、ワールドシリーズ制覇の立役者となったウィンフィールドが退団。代わりに[[ミルウォーキー・ブルワーズ]]から[[ポール・モリター]]、アスレチックスから[[デーブ・スチュワート (野球)|デーブ・スチュワート]]を獲得した。1993年も圧倒的な強さをみせ、2位の[[ニューヨーク・ヤンキース]]に7ゲーム差をつける5度目の地区優勝を果たした。なお、この年には7人もの選手が[[MLBオールスターゲーム|オールスター]]に選出され、人気、実力共に絶頂期を迎えることとなった。リーグチャンピオンシップシリーズでは、ホワイトソックスを4勝2敗で下し、2度目のリーグ優勝。[[1993年のワールドシリーズ|ワールドシリーズ]]では、[[フィラデルフィア・フィリーズ]]との対戦となり、ブルージェイズが4勝2敗でワールドシリーズ2連覇を果たした。このシリーズは様々な面で記憶に残るものとなった。第4戦では、両先発が共に崩壊し、7回までに9対14と荒れた試合となり、8回にブルージェイズが一挙6点をとって逆転、最終的に15対14でブルージェイズが勝利した。両チームの合計得点である29点はワールドシリーズの最多得点となっている。また、3勝2敗とブルージェイズが王手をかけた第6戦では、6回までに5対1とリードしていたが、フィリーズは7回表に3ランホームランなどで5点を奪って逆転。9回、フィリーズの守護神[[ミッチ・ウィリアムス]]がマウンドに上がったが、一死一、二塁の場面で、カーターがレフトスタンドへ優勝決定サヨナラ本塁打を放ち、MLBの歴史に残る劇的な幕切れとなった。