「キルギスの政治」の版間の差分

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サリエフについてはアクシュムカルの現状が分からないため政党空白に。
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[[1993年]]、アカエフ側近に対する[[汚職]]が行われているとの申し立ては、主要なスキャンダルになった。不正を行ったとして起訴されたうちのひとりは、副大統領[[フェリックス・クロフ]]で、12月に道義的責任を採って辞任した。クロフが辞任すると、アカエフは政府を解散し、最後の共産党出身の首相、[[アパス・ジュマグロフ]]に組閣を要請した。[[1994年]][[1月]]、アカエフは任期延長の是非を問う国民投票を実施した。アカエフは96.2%を獲得した。
 
新憲法は1993年5月に議会で可決された。しかし、1994年、議会は任期満了(1995年2月)に先立つ最後の時期に定数を満たすことができなかった。アカエフは議会多数派に棄権させたとして大いに非難された。アカエフは共産党が国会議員が自分の役割を果たせないよう妨げたので政治的危機の原因になったと断言した。アカエフは2つの憲法改正案(一つは国民投票の方法を改め、もう一つは''[[:en:ジョゴルク・ケネシ]] (Jogorku Keņesh|Jogorku) Keņesh]]''と呼ぶ新たな二院制議会の創設)を提示して、圧倒的な支持を得た1994年10月の国民投票を計画した。
 
両院の選挙が(35議席のフルタイムの議院と70議席のパートタイムの議院)、1995年2月にほとんどの国際監視団から非常に自由かつ公開されたものとみなされて行われたが、投票日の進行は、広汎な不正行為で台無しになった。無所属の候補者が議席の殆どを占め、個人攻撃が思想に勝ったことを示唆している。新しい議会は、1995年3月に最初の会期が召集された。最初にすべきことのひとつが、憲法でどの言語を使用するかを確定することであった。