「引分 (相撲)」の版間の差分

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預りが番付編成上有利になるのは陰星のある場合のみで一般に預りが上なわけではない。例示の場所も柏戸が大関なので例にならない
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引分を優勝争いの場合にどう扱うか、明確でない部分がある。価値の大小でいえば「白星>引分>黒星」であることは明らかであるが、現行の規定では例えば「14勝1敗と13勝2引分ではどちらが上位か?」という議論が起こりうる。現実にはまず有り得ないケースだけに見過ごされているが、引分の存在を認める以上は明確にする必要がある。また、現在の制度において7勝7敗1引分の際には[[勝ち越し]]・[[負け越し]]のどちらにするのかも明確にする必要がある(過去には[[若乃花幹士 (初代)|若乃花幹士]]などに例がある)。
 
[[江戸時代]]~[[昭和]]初期([[取り直し]]の制度が取り入れられた[[1920年代]]末まで)に存在した<ref>但し、[[2015年]]現在でも[[幕下]]以下の取組では、あえて勝敗を決する必要がないような場合、便宜的に適用されることもある。この場合は正式には[[痛み分け]]の扱いになることが多い。</ref>[[預り (相撲)]]との比較では、引分の方が成績が下と見なされていた<ref>一例として[[1817年]][[10月 (旧暦)|10月]]場所で、6勝1敗2休'''1預'''の成績を挙げた[[柏戸利助]]と6勝1敗2休'''1分'''の成績を挙げた[[鳴滝忠五郎]]のケースでは、柏戸が優勝相当成績とされた。</ref>。
 
== 脚注 ==
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== 関連項目 ==