「アルシング」の版間の差分

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アイスランドはもともと移民によって入植が進んでいき、それぞれの定住地域で「シング(民会)」と呼ばれるものが存在した。しかし全島共通の法律や規則というものはなく、それぞれの出身国の法律が各々の定住地域で用いられていた。そこで全島での交易が発展するにつれて、全島共通の意見調整機関の創設が提唱されていった。
 
930年に定住地域ごとの「シング」の代表が集まり、[[レイキャヴィーク|レイキャビク]]の近くの[[シンクヴェトリル]]という丘で「アルシング」が2週間にわたって開催された。初期の頃は立法と司法の機能を有し、行政は各定住地域の自治に任されていた。アルシング開催中は全島から集まった人々が平野にテントをはり、宴会、スポーツや詩の朗誦などの娯楽や、商売などの交流も行われた<ref>松本「中世アイスランドと北大西洋の流通」</ref>
 
1000年には、古い信仰を守る人々と[[キリスト教]]への改宗を主張する人々がアルシングの場で激しく論争するさなかに、会場近くの火口および近くの[[ヘトリスヘイジ]]において同時に噴火活動が始まり、これをきっかけに話し合いがまとまって、キリスト教を国教とすることを決定している。
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== 会派 ==
{{更新|section=1|date=2013年5月}}
 
== 出典・脚注 ==
{{reflist|2}}
 
* [[松本涼]]「中世アイスランドと北大西洋の流通」([[山田雅彦]]編『伝統ヨーロッパとその周辺の市場の歴史』) 清文堂、2010年。
 
== 関連項目 ==