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人間を駒に見立てて将棋を指すというアイデアは、[[豊臣秀吉]]が[[伏見城]]で小姓や腰元を将棋の駒に見立て、「将棋野試合」を行ったという故事がきっかけとなっている{{要出典|date=2014年11月}}。
天童は江戸時代(天童藩織田家2万石)から将棋駒の生産で知られ、
[[
織田信美
(のぶかず)
]]
が文政年間に財政再建に成功した米沢藩上杉家から駒師を招き、家老である吉田大八の指揮のもと藩士に学ばせた。(「天童藩史」「御家建て直し」など)
現在でも将棋駒の約95パーセントがこの地域で生産されている。