「赤報隊」の版間の差分

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また、赤報隊には[[甲斐国]]上黒駒村([[山梨県]][[笛吹市]]御坂町)の[[博徒]]・[[黒駒勝蔵]]も加入している。勝蔵は上黒駒村を拠点に敵対する甲斐の博徒や駿河の[[清水次郎長]]との抗争を繰り広げていたが、慶応元年([[1865年]])には甲斐国において大規模な博徒取り締まりが実施され、勝蔵は甲斐を逃れている。その後、勝蔵は盟友関係にあった岐阜の[[水野弥太郎]]のもとへ身を寄せ、弥太郎を介して慶応4年([[1868年]])正月に「小宮山勝蔵」の変名を用いて赤報隊に加盟する。
 
相楽総三の処刑・水野弥太郎の捕縛により赤報隊が解散となると勝蔵は上京し、京都で[[四条隆謌]](たかうた)の徴兵七番隊(第一遊撃隊)に入隊し[[戊辰戦争]]に参加しているが、明治4年(1871年)10月14日に新政府から第一遊撃隊脱退の嫌疑で捕縛され、処刑されている。
 
勝蔵は尊王家でもあった上黒駒村の檜峰神社神主武藤外記・藤太親子の私塾に学んでおり、勝蔵が赤報隊や官軍に加わった背景には武藤親子からの思想的影響が考えられている<ref>『黒駒勝蔵隊清水次郎長』、p.26</ref>。