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=== アテナイの衰退 ===
スパルタに敗れた後のアテナイには[[三十人政権]]と呼ばれる[[寡頭制]]政権が成立し恐怖政治を敷いた。間もなく{{仮リンク|アテナイの[[トラシュブロス (将軍)|label=トラシュブロス|en|Thrasybulus}}]]によって寡頭制は崩壊し富裕市民の合議制に戻ったものの、海外領土および隷属都市を失ったアテナイの経済力は衰退し政治が大きく乱れた。[[コリントス戦争]]後、[[紀元前377年]]に再度海上同盟を結成するなど国力を回復したものの、かつての勢いを取り戻すことは二度と無かった。[[紀元前357年]]に起きた{{仮リンク|同盟市戦争 (紀元前357-355年)|en|Social War (357–355 BC)|label=同盟市戦争}}により同盟市に対して大幅な譲歩を強いられ、[[紀元前338年]]に[[カイロネイアの戦い]]で[[マケドニア王国|マケドニア]]の[[ピリッポス2世|フィリッポス2世]]に降伏してからは[[デモステネス]]の抵抗も空しく政治的独立性を失い[[アレクサンドロス3世|アレクサンドロス大王]]とそれに続く[[ディアドコイ]]の帝国に編入された。アレクサンドロス大王の死後反乱({{仮リンク|ラミア戦争|en|Lamian War}})を起こしたものの、短期間で鎮圧された。[[古代ローマ|ローマ]]の支配下となった後は文化都市として栄えたが、域内完結型のローマ経済圏において生産力の乏しさから徐々に衰退し、6世紀頃までには[[東ローマ帝国]]の一地方都市となった。
 
== アテナイの政治 ==