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心理学大図鑑とノートにヒルガードの心理学から定義を作成 近代心理学の起源
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{{ウィキプロジェクトリンク|心理学}}
'''心理学'''(しんりがく、{{lang-en|psychology}} サイコロジー)とは、人の[[心]]のはたらき、あるいは人や[[]]の[[行動]]を研究する[[学問]]のことであり、科学的な手法によって研究され<ref name="APA"/><ref name="Hilgard31"/>{{sfn|心理学大図鑑|2013|p=10}}
 
起源は[[哲学]]にルーツに置かれるが、近代の心理学としては、ドイツの[[ヴィルヘルム・ヴント]]が[[実験心理学]]の父と呼ばれ、アメリカの[[ウィリアム・ジェームズ]]も心理学の父と呼ばれることもある{{sfn|心理学大図鑑|2013|pp=目次, 35, 45}}。心理学の主な流れは、実験心理学の創設、[[精神分析学]]、[[行動主義心理学]]、[[人間性心理学]]、[[認知心理学]]、[[社会心理学]]、[[発達心理学]]である。また差異心理学は人格や知能、性などを統計的に研究する。
 
これらのアプローチとしては、行動主義のように行動や認知を客観的に観察しようとするものと、一方で、主観的な内面的な経験を理論的な基礎におくものとがある<ref name="">{{Cite book|和書|author=ケン ウィルバー|coatuthors=松永太郎訳|title=統合心理学への道|publisher=春秋社|date=2004|isbn=4-393-36035-4|pages=10-11}}</ref>。
 
現在{{いつ|date=2015年2月}}盛んに研究されている心理学は、[[環境]]と[[生活体]](人を含む動物)の相互作用としての[[認知]]と[[行動]]を研究する学問である。
 
==語源と定義==
[[心]]や魂を意味する古代ギリシア語はψυχή [[プシュケー]](ψυχή )であり、これに研究や説明を意味するロギア呼ばれた。ラテン語psychologia(プシューコロギア(psychologia)である。一般に[[{{sfn|]]の様々な働きである心的過程と、それに基づく行動を探求する[[問]]である大図鑑|2013|p=10}}
現在では、心理学の用語の意味は、1996年の心理学書では「行動と心の変化を科学的に研究する」
とされ<ref name="Hilgard31">Atkinson et al. (1996) ''Hilgard's Introduction to Psychology'', twelfth edition, Harcourt Brace. p.31. </ref>、2012年の『心理学大図鑑』では、「心や行動の科学を研究する」という意味であるとされる{{sfnRef|心理学大図鑑|2013|p=10}}。アメリカ心理学会は、心と行動の研究と定義している<ref name="APA">{{cite web|title=How does the APA define "psychology"? |url=http://www.apa.org/support/about/apa/psychology.aspx#answer | accessdate=2015-07-04}}</ref>。
 
[[ギリシャ文字]]の[[Ψ]](英:PSI)が心理学のシンボルとして、しばしば用いられる。
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===ギリシャ哲学からの起源===
1912年の大槻快尊の『心理學概論』では、古くは[[タレス]]の哲学でも心について付言されているが、心理学の開祖と呼べる哲学者は「心は脳髄にあり」と述べた[[アリストテレス]]であり、哲学から心理学へ独立した学問へと小径を開いたのは[[ルネ・デカルト]]であり、そして、心理学という全く別の科学的な学問を成立させたのは[[ジョン・ロック]]であると云ってよい、としている{{Sfn|大槻快尊・述|1912|p=4}}。
[[アリストテレス]]の『[[霊魂論]]』(Περὶ Ψυχῆς:ペリ・プシュケース)は、最初期の研究のひとつとして引き合いに出される。つまり、これら[[哲学]]からの発展が現在の心理学の起源であるとされる。
 
紀元前4世紀に[[アリストテレス]]は『[[霊魂論]]』(ペリ・プシュケース:Περὶ Ψυχῆς)にて、心身は血流と怒りが無関係ではないことから<ref>{{Cite book|和書|author=加藤信明|chapter=アリストテレス『魂について』|title=精神医学文献事典|publisher=弘文堂|date=2003|isbn=978-4-335-65107-6|pages=12-13}}</ref>、心身不分離としたが、後の17世紀に[[ルネ・デカルト]]は[[実体二元論|心身二元論]]を提唱し、魂は非物質的で身体は物質的だが、動物精気というもので身体を機械的に動かしているとした{{sfn|心理学大図鑑|2013|pp=20-21}}。またデカルトは、動物は反射によって動く機械でしかないとしたが、現在では遺伝また感覚の研究によって、動物も意識を持っていると考えられている{{sfn|心理学大図鑑|2013|p=34}}。
 
[[ジョン・ロック]]は、ニュートン物理学の登場によって、分子から成り立つ物質と、心的なイメージを成り立たせえる感覚と、不滅の魂を仮定した。
1912年の大槻快尊の『心理學概論』では、古くは[[タレス]]の哲学でも心について付言されているが、心理学の開祖と呼べる哲学者は「心は脳髄にあり」と述べたアリストテレスであり、哲学から心理学へ独立した学問へと小径を開いたのは[[ルネ・デカルト]]であり、そして、心理学という全く別の科学的な学問を成立させたのは[[ジョン・ロック]]であると云ってよい、としている{{Sfn|大槻快尊・述|1912|p=4}}。
 
===心理学の創世記===
{{Seealso|催眠}}
18世紀には、[[フランツ・アントン・メスメル]]が、{{仮リンク|動物磁気説|en|Animal magnetism}}による治療行為を行い、1779年に『動物磁気の発見と回想』を出版し、後の[[催眠]]へとつながっていった{{sfn|心理学大図鑑|2013|pp=22-23}}。心理療法における[[ラポール]]の概念などもこの流れで生み出された。
 
1870年代には、ドイツのヴィルヘルム・ヴントと、アメリカのウィリアム・ジェームズ、心理学の研究室を設け、心理学の諸理論を提唱した。ドイツの[[ヴィルヘルム・ヴント]]が[[実験心理学]]の父と呼ばれ、アメリカの[[ウィリアム・ジェームズ]]も心理学の父と呼ばれることもある{{sfn|心理学大図鑑|2013|pp=目次, 35, 45}}
 
ヴントは1879年に[[ライプツィヒ大学]]に研究室を創設し、彼の言う実験心理学とは、[[内観]]として自己観察的な思考や感情の出来事を記録することであった{{sfn|心理学大図鑑|2013|pp=目次, 35, 45}}。
上述した大槻快尊の説明によれば、[[19世紀]]後半(一般的には[[1879年]])に、心理学を独立した科学分野としたのは、[[ドイツ]]の[[ヴィルヘルム・ヴント]]である。しかしながら、当時の日本はドイツ医学の影響を受けていたのでこうのように説明されるが、アメリカでは1875年に心理学者[[ウィリアム・ジェームズ]]が、その心理学を創設している。
 
アメリカでジェームズ1875年に[[ハーバード大学]]にて講義をはじめた{{sfn|心理学大図鑑|2013|pp=目次, 35, 45}}。1890年にはジェームズが大著『[[心理学原理]]』を公開し、その2年後にはこれを短縮した『心理学要論』が公開され教科書として広まった。1892年には、[[アメリカ心理学会]]が、[[ウィリアム・ジェームズ]]の心理学を元にして設立される。
 
1880年代には、フランスのエミール・クーエが偽薬効果についての『自己暗示』を出版する{{sfn|心理学大図鑑|2013|pp=22-23}}。1900年には、ドイツのウィーンで、神経症とヒステリーの研究を行っていた[[ジークムント・フロイト]]は、人々は[[無意識]]の影響を受けて行動しているという理論を公表する。
 
===精神分析===
{{Main|精神分析学}}
1885年には、[[ジークムント・フロイト]]はパリに行き、催眠によってヒステリー患者を治療しようとしていたシャルコーの下で学び、同僚と共に1893年に『ヒステリーの研究』出版したが、その限界を感じ[[自由連想法]]を用い始めた<ref name="フロイドの系譜"/>。1894年以降、フロイトは[[精神分析学]]の基礎となる理論を発見し、1900年には『夢判断』を出版してその初期の理論を公開し、1902年には、ウィーンの医者が群れとなって精神分析学研究のセミナーに参加し比較的短期間で世界規模となる<ref name="フロイドの系譜"/>。最初の国際精神分析学会は1908年、最初の『国際精神分析学雑誌』は1909年に出版されたが、追従者のアドラーは1910年に、ユングは1913年フロイトの下を離れていった<ref name="フロイドの系譜"/>。1916年までは研究はドイツ語圏に限られており、アメリカやイギリスに飛び火したのは、1918年以降であり、1920年には『精神分析学入門』が翻訳され読者を広く読者を得、ニューヨークの研究研究所は1931年に開設された<ref name="フロイドの系譜">{{Cite book|和書|author=J.A.C.ブラウン|coauthors=(翻訳)宇津木保、大羽蓁|title=フロイドの系譜―精神分析学の発展と問題点|publisher=誠信書房|date=1982|isbn=441442710X|pages=28-29、42-43、59-60、92-93}} ''Freud and the Post-Freudians'', 1961</ref>。
 
娘の[[アンナ・フロイト]]は[[自我心理学]]を提唱した。フロイトに師事した[[カール・グスタフ・ユング]]は[[分析心理学]]を提唱、ユング心理学はユング派としてアメリカで[[プロセス指向心理学]]などを生んだ。この時代には、フロイトや[[現象学]]の影響をうけた[[ルートヴィヒ・ビンスワンガー]]の[[現存在分析]]、また [[ヴィクトール・フランクル]]による[[ロゴセラピー]]がある。[[対人関係療法]]は、新フロイト派とよばれる[[ハリー・スタック・サリヴァン]]らの流れを組む。
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===行動主義の台頭と変容===
{{Main|行動主義心理学}}
20世紀初頭に[[行動主義心理学]]が登場する。これは戦争をはさんだ軍事学的な統制にも用いられた。動物実験により1903年には[[イワン・パブロフ]]による[[古典的条件づけ]]が発表され、1938年は[[バラフ・スキナー]]による[[オペラント条件づけ]]の研究が盛んになった。治療に関しては、1960年に[[ハンス・アイゼンク]]が『行動療法と神経症』を出版する。行動主義のその行きすぎた傾向においては、心という概念なしに客観的な心理学としての観察研究ができるとした。
 
20世紀半ばには、アメリカでは精神分析と行動主義は2大勢力であった。しかし外側から与えられる報酬と罰が人間の学習の決定的条件であるとする行動主義は様々な矛盾に陥った。[[ノーム・チョムスキー]]が1957年に提唱した[[普遍文法]]は、人は生得的に言語能力を持っているということであり、報酬と罰によって学習するという行動主義の理論に疑問を呈した。
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1967年にナイサーが[[情報処理]]の理論を取り入れた『認知心理学』という著作を公開し新しい時代を形作っていった。観察研究ができない精神分析の無意識と、行動主義の、行動および報酬と罰にしか焦点を当てない心理学ではなく、思考などの観察可能な認知に焦点を当てた手法が登場した。
 
[[アルバート・バンデューラ]]は1970年代に、[[社会的学習理論]]において、報酬や罰による誘導がなくても単に真似することで学習する[[モデリング (心理学)|モデリング]]の理論を唱えた。{{日本語版にない記事リンク|エドワード・L・デシ|en|Edward L. Deci}}は、{{日本語版にない記事リンク|自己決定理論|en|Self-determination theory}}を提唱し、自らがそれを行いたいから行動するようになるという自律性や内発的動機の理論を提唱した。[[マーティン・セリグマン]]は当初、回避できない罰を与えられた場合の[[学習性無力感]]の研究者であったが、次第にポジティブな学習に言及することが増え、[[ポジティブ心理学]]を1990年代に提唱する。
 
=== 現状 ===
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== 参考文献 ==
{{参照方法|date=2012年8月|section=1}}<!--{{Cite book|ref=harv}}にしたので{{Harv}}や{{Sfn}}などを使って関連付けてください。-->
* {{Cite book|和書|author=大槻快尊・述 |authorlink=大槻快尊 |year=1912 |title=心理學概論 |publisher=早稲田大学出版部 |id={{全国書誌番号|43056228}} |oclc=33766818|ref=harv}}
*{{Cite book|和書|author=キャサリン・コーリンほか|coauthors=(監修)池田健(翻訳)小須田健|title=心理学大図鑑|publisher=三省堂|date=2013|isbn=978-4-385-16224-9|ref={{sfnRef|心理学大図鑑|2013}}}}''The Psychology Book'', 2012
 
== 関連項目 ==