「第73回都市対抗野球大会」の版間の差分

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==概要==
*企業チームの減少など社会人野球を取り巻く環境の変化から、都市対抗野球大会出場の価値を高めるために、[[日本野球連盟]]は従来までの出場チーム32チームを試験的に28チームに減少させた(結果的に現場やファンから不評であったことから、[[第74回都市対抗野球大会|翌年の大会]]では出場32チームに戻っている)。
*また、開催時期も従来の7月下旬開幕から約1ヶ月遅らせ、8月下旬開幕となった。これは、高校野球等のイベントと重ならないことでメディアへの露出を増やそうとするものであり、これ以後[[第81回都市対抗野球大会|2010年]]まで(本来は[[第82回都市対抗野球大会|2011年]]もこれに該当する予定が[[10月]]に延期)の間、開催時期は8月下旬から9月上旬となっている。
**但し、この処置は今回が初めてではなく、[[第63回都市対抗野球大会|1992年]]と[[第67回都市対抗野球大会|1996年]]にも[[夏季オリンピック]]([[バルセロナオリンピック|1992年バルセロナ]]・[[アトランタオリンピック|1996年・アトランタ]])が、本来の都市対抗開催時期である7月下旬と日程が重なるために特例としてこの時期に開催した例がある。
*[[第72回都市対抗野球大会|前年大会]]から、優勝チームは1年間袖に「黒獅子エンブレム」をつけてプレーすることができることとなったが、前年優勝の[[河合楽器硬式野球部|河合楽器]]は優勝後約2ヶ月後に電撃的に廃部を発表、開会式には一部の選手のみがもはや使わなくなった河合楽器のユニフォームで優勝旗等の返還を行った。
*出場枠が狭くなった中で、[[伏木海陸運送硬式野球部|伏木海陸運送]]と[[一光硬式野球部|一光]]の2チームが初出場を果たした。一方で、53年ぶりに[[川崎市]]代表が都市対抗の表舞台に登場しないなどのドラマを生んだ。
*その中で勝ち上がっていったのが、今大会で本大会初勝利を挙げて勢いに乗った[[Honda熊本硬式野球部|ホンダ熊本]]と、同年限りで休部が決まっていた[[いすゞ自動車硬式野球部|いすゞ自動車]]。両チームは決勝で対戦し、いすゞ自動車が「最初で最後の黒獅子旗」を手にした。また、[[協和発酵硬式野球部|協和発酵]]もこの大会を最後に約50年の活動に幕を下ろした。
*このシーズンから企業チームが参加する大会での金属バットの使用が禁止され、24年ぶりに木製バットに回帰したことから、ホームラン数は[[第71回都市対抗野球大会|前々回大会]]の106本、[[第72回都市対抗野球大会|前回大会]]の96本から激減し、30本にとどまった。
*この年から、従来の[[NHK BS1]]、[[GAORA]]に加え、[[データ放送]]のBS「[[デジキャス]]」でも時間帯を区切りながら生中継が行われた。