「南部信直」の版間の差分

 
=== 南部宗家家督相続 ===
天正10年([[1582年]])、南部晴政が死んで晴継が第25代当主を継承するが同年晴継は謎の暴漢集団によって暗殺され急死する。これには信直の暗殺説も囁かれている。更に近年では信直によって内戦が引き起こされた結果、晴政親子が攻め滅ぼされたという説も浮上しているが、真偽のほどは不明である。なお南部氏側資料では、晴政没後に騒動は発生しておらず、晴継も疱瘡で死んだことになっている。
 
急遽南部一族や重臣が一堂に会し大評定が行われた。南部晴継の後継者としては、九戸氏当主・[[九戸政実]]の弟でかつ晴政の二女が嫁いだ[[九戸実親]]を推す意見もあったが、北信愛が事前に八戸政栄を調略し、結局は信愛や南長義から支持された信直が、南部氏第26代当主を継承することとなった<ref name="戦国人名事典590"/>。このため九戸政実は遺恨を抱き南部家中は不穏な状態であった。
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