「藤白鈴木氏」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
編集の要約なし
34行目:
鈴木重家の死後、紀伊国に残った次男・鈴木重次が跡を継いだ。重次は[[承久の乱]]で朝廷方として参加して[[正嘉]]2年([[1258年]])8月に64歳で没し、[[南北朝時代 (日本)|南北朝時代]]には鈴木重恒が[[後醍醐天皇]]の[[南朝 (日本)|南朝]]に属した。
 
[[明徳]]3年([[1392年]])には鈴木重義が[[山名義理]]に従って[[大内義弘]]と戦い戦死し、[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]には兵乱[[石山合戦]][[顕如]]に味方し神領を失ったが、後に[[浅野幸長]]から6石の寄進を受けた。[[大坂の陣]]では鈴木重興が徳川方として活動参戦、[[浅野氏]]から諸役免除を賜っという

[[1942年]]([[昭和]]17年)に最後の当主・鈴木重吉が病気で急死し断絶するまで藤白神社神主家の鈴木氏は断絶て続いた。
 
==主な支流一族==