「八徳区」の版間の差分

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|up={{Flagicon|桃園県}} [[桃園市]]
|down=48里1,293鄰
|person=黄啓賓陳玉明
|address=-
|URL=http://www.bade.tycg.gov.tw/
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== 歴史 ==
八徳の旧名は「八塊{{lang|zh|厝}}」と称し、その由来には2説ある。一つは開発が始められた[[1741年]]、この地域に「荘頭」、「荘尾」、「稲埕頭」、「連城」、「旧城」、「城外」、「公館」、「租倉」の8集落があり、これにより「八塊{{lang|zh|厝}}」と命名されたというものである。もう一説は[[1745年]]、福建、広東からの移民が入植し、謝、蕭、邱、呂、頼、黄、呉、李という8姓の人々が、それぞれ家屋を建てたことより「八塊{{lang|zh|厝}}」と命名されたというものである。
 
[[1920年]]の台湾地方改制の際に'''八塊'''と改称され、戦後に'''八徳'''と改称された。数度の行政改編を経て[[1995年]]1月1日に市制が施行され、'''八徳市'''となった。。[[2014年]][[12月25日]]、桃園県が[[直轄市]]となり[[桃園市]]と改称したことから、八徳市は'''八徳区'''と改名し、[[市轄区]]となって現在に至っている。