「日興」の版間の差分

+{{一部転記}}→‎略歴: -避けたい言葉
(+{{一部転記}}→‎略歴: -避けたい言葉)
{{一部転記|富士門流|富士門流#一部転記提案|date=2015年7月}}
{{Otheruses|人物|証券会社|SMBC日興証券}}
{{Buddhism}}
* 弘安3年([[1280年]])1月11日、日蓮より法華本門宗血脈相承『百六箇抄』<ref group="注釈" name="h">{{Harv | 日蓮宗事典刊行委員会 | 1981 | p = 323 }}には、本書は『百六箇相承』と称し、「日興門流において日蓮聖人に仮託して秘書として製作されたものである」とある。</ref>を相伝す。2月、日興、遠江の新池家に在り。
* 弘安4年([[1281年]])、日興、園城寺申状を代奏す〔初度天奏〕。
* 弘安5年([[1282年]])9月、日蓮は『日蓮一期弘法付嘱書』(身延相承)をもって日興を本門弘通の大導師と定め、10月13日、『身延山付嘱書』(池上相承)をもって身延山[[久遠寺]]の別当職(貫主)と定めて死去した、と日蓮正宗では主張している{{Sfn | 富士学林研究科 | 2006 | pp =5,7-8,12 | ps = -但し、前書をもって「滅後の大導師〔と定めた〕」とある。}}{{Sfn | 宗旨建立750年慶祝記念出版委員会 | 2002 | p = 181 | ps = -但し、両書の別名が身延相承・池上相承あることを除く。}}。しかしその一方で、日蓮宗は、両書を宗祖滅後150年頃成立の偽書とし{{Sfn | 宮崎英修 | 1978 | p = 185 }}{{Sfn | 日蓮宗事典刊行委員会 | 1981 | p = 294 }}、同主張を是としていない<ref group="注釈">{{Harv | 日蓮宗事典刊行委員会 | 1981 | p = 1315 }}に、身延山の開山は宗祖、2世は日向とある。</ref>。日蓮正宗では、両書をあわせて『[[二箇相承|二箇相承書]]』としている{{Sfn | 日蓮正宗宗務院 | 1999 | p = 230 }}。
* 弘安10年([[1287年]])10月13日、初めて大曼荼羅本尊を書写([[宮城県]][[登米市]]・[[上行寺 (登米市)|上行寺]]所蔵)。
: その後、日向や、身延の地頭・[[波木井実長]]との意見の相違から、日興は身延山を降りた ([[富士門流#鎌倉時代・建武の新政|身延離山]])。
1,382

回編集