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RJANKA (会話 | 投稿記録)
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本来貨幣は[[貴金属]]など普遍的な価値を持つ財貨そのものであり、昔から王侯が[[コイン]]の鋳造権を独占して市場に流通させていた。これらの貴金属による貨幣は運搬に不便であるだけでなく、摩耗による減価の問題もあったため、次第に貴金属との交換を保証された債務証書(手形)に置き換わっていった。これが紙幣のはじまりといえる。
 
紙幣に先だって(紙が発明される以前に)、[[カルタゴ]]においては[[]]製の通貨が普及していたとされる。ただしカルタゴの滅亡とともに断絶し、また考古学的資料にも乏しい事から、詳細は不明である<ref>ローマの歴史(I. モンタネッリ著 [[中公文庫]] ISBN 4122026016)</ref>。
 
他、古代エジプトにおいても、倉庫への穀物の預かり証([[パピルス]]製)が通貨の代わりとして使用されていたが、古代ローマの征服により断絶している。
 
世界初の紙幣は[[北宋|宋]]代に[[鉄貨|鉄銭]]の預り証として発行された[[交子]]である([[中国の貨幣制度史#紙幣の成立|中国の貨幣制度史]]を参照のこと)。[[ヨーロッパ]]では、民間の銀行が発行した金銀の預り証である金匠手形(Goldsmith's note)が通貨として流通していたが、国家による承認を受けたものとしては[[1661年]]に[[スウェーデン]]の民間銀行・[[{{仮リンク|ストックホルム銀行]]|en|Stockholms Banco}}が発行したのが、銀行券としては最初のものである(だが、7年後に同行が経営破綻したために政府が受け皿として国立の[[リクスバンク]]を創設、これが世界最初の[[中央銀行]]となった)。また、[[1694年]]には[[イギリス]]で[[イングランド銀行]]が設立され、同行の約束手形が発行された。同行の約束手形は当初手書きであったが、のちに印刷に改められたことにより、交換手形として広く流通し始めた。イングランド銀行は[[1844年]]の[[ピール銀行条例]]によってイギリス唯一の発券銀行とされた。
 
近代になって、[[金本位制]](または[[銀本位制]])が確立し、[[本位貨幣]]たる[[金貨]]や[[銀貨]]又は銀行に保管する[[金地金]]等と交換ができる紙幣は'''兌換紙幣'''と呼ばれ、券面にはそれらの記載があった。例えば、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]では、ブルーシールの兌換銀券とイエローシールの兌換金券があった。日本の兌換紙幣は最初は兌換銀券であったが、[[1897年]]([[明治]]30年)に金本位制が採用されてからは、兌換金券となった。紙幣が広く流通するためには兌換が保証されていることが重要であって、銀行など紙幣発行機関の信用がその存立基盤を形成していた。すなわち特定の銀行に正貨(つまり金銀)の準備がないという流言が広まれば、途端に信用不安を引き起こし、取り付け騒ぎが起こって銀行券が紙切れになる危険が生じたわけである。