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[[東京都]][[文京区]]出身。[[東海大学]]文学部卒業。
 
大学卒業後、[[ディスコ]]の[[D]]Jを経て、1976年に[[ニッポン放送]]の『[[ザ・パンチ・パンチ・パンチ]]』でデビュー。芸名はニッポン放送のドン上野こと[[上野修 (ラジオプロデューサー)|上野修]]からつけられた<ref>ドン上野『ミスター・ラジオが通る』実業之日本社、1986年、p.142。</ref>。以後、『[[トゥナイト (テレビ番組)|トゥナイト]]』、『[[トゥナイト2]]』([[テレビ朝日]])のレポーターなどで知られる。
 
1997年8月26日、『トゥナイト2』で自分が担当するコーナーの[[コマーシャルメッセージ|CM]]前の予告で「[[便所|トイレ]]はCMの間に」と発言したことが[[スポンサー]]の逆鱗に触れ、番組を降板した<ref>宝泉薫編著『芸能界一発屋外伝』彩流社、1999年、p.142。</ref><ref>[[ナンシー関]]『ナンシー関の「小耳にはさもう」ファイナルカット』朝日新聞社、2005年、p.132。</ref><ref>[http://tv.jp.msn.com/columns/column.aspx?articleid=672144 テレ朝の深夜番組「トゥナイト」の生放送中に「トイレはCMの間に」と口走って]</ref>。同時に担当取締役が減俸、情報局長と情報番組センター長が減給、担当プロデューサーが10日間の謹慎、アナウンサー1名がけん責された<ref>朝日新聞<1997年9月3日東京本社朝刊14版</ref>。2年後の2000年3月に『トゥナイト2』に復帰した。復帰の際にはCM前の予告で「特集の前にとても重要なお知らせの時間です。心して見るように」と前回の失言を逆手に取ったギャグを披露した。