「金星の太陽面通過」の版間の差分

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ファイル:Venus transit 6 June 2012.jpg|金星と日、モスクワからの眺め
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[[日面通過]]の間、金星は太陽の表面を東から西へ動いていく小さな黒い円盤のように見える。天体が太陽の手前を通過し、それによって太陽の一部が隠されるという点で[[日食]]と似ている。しかし、日食において太陽を隠す[[月]]の[[視直径]](地球から見た見かけの直径)が約30[[分 (角度)|分]]とほぼ太陽と等しいのに対し日面通過時の金星の視直径は約1分と太陽のおよそ{{sfrac|1|30}}分の1しかない。金星は直径が[[月]]の約4倍もあるにもかかわらず、視直径がこのように小さいのは、日面通過時の金星は地球からの距離が約4,100万[[キロメートル]]であり、月(地球から約38万キロメートル)の100倍以上も遠くにあるためである。
 
日面通過の開始前、金星は太陽の東側から太陽に徐々に接近してくる。しかしこの時には金星は夜側の面を地球に向けているため、見ることはできない。続いて金星が太陽面に接触する。この瞬間を「第1接触」という。さらに金星が太陽面の内側に入り込み、金星が完全に太陽面上にのった瞬間を「第2接触」という。第1接触から第2接触までは約20分かかる。その後金星は太陽面上を西へ移動していく。金星が太陽面の中心に最も近づいたときを「食の最大」という。さらに金星は太陽面上を西に進み、太陽の反対側の縁に到達する。この瞬間を「第3接触」という。第2接触から第3接触までにかかる時間は、金星が太陽面の中心にどれだけ近い部分を通過するかで大きく変わるが、[[2004年]]と[[2012年]]の金星の日面通過では約6時間である。さらに金星が西へ進み、完全に太陽面から離れた瞬間を「第4接触」という。第3接触から第4接触までは約20分である。このように長い時間がかかる現象であるため日の出前にすでに日面通過が始まっていたり、日没時にまだ日面通過の途中である場合があり、全過程を観測できる観測地は限られる。2004年の日面通過においては中央アジアからヨーロッパで全過程の観測が可能であった。2012年の日面通過ではハワイから東アジアで全過程の観測が可能である。
[[17世紀]]までには天文学者はそれぞれの惑星間の距離の関係を地球と太陽の間の距離を単位(1[[天文単位]])として計算できていたが、1天文単位の絶対的な距離([[マイル]]や[[キロメートル]]単位)はあまり正確に分かっていなかった。
 
日面通過の精密な観測は、この1天文単位の絶対的な距離を測定する方法となる。その方法は、地球の広範囲に離れた観測点で日面通過が始まる時間か終わる時間の僅かな違いを厳密に測定するというものである。すると地球のある2点間の距離が、[[三角測量]]の原理で金星と太陽の間の距離を測る物差しのように使える(「[[視差]]」も参照)。[[19世紀]]まではこれが太陽系の大きさを測定するためのほぼ唯一の手段であり、そのため国際的なプロジェクトとして金星の日面通過の観測が行われた{{要出典|date=2013年6月}}。
 
=== 17世紀 ===
[[ヨハネス・ケプラー]]は[[1631年]]の金星の日面通過を初めて予測した。これに基づいて[[ピエール・ガッサンディ]]は[[パリ]]から観測を行おうとした。しかしケプラーの予測は十分に正確ではなかったため、実際に現象が起こったのは予測より数時間遅かった。このため[[ヨーロッパ]]西部、特にパリでは太陽がすでに沈んでいる時間帯の現象となり結局誰も観測できなかった<ref>{{Cite web|url=http://www.nao.rl.ac.uk/nao/transit/V_1631/ |title=http://www.nao.rl.ac.uk/nao/transit/V_1631/ |title=1631 TRANSIT of VENUS |author=HM Nautical Almanac Office |date=2007-11-05 |accessdate=2010-01-16}}</ref><ref>{{Cite web | url=http://www.phys.uu.nl/~vgent/venus/venustransitbib.htm| title=Transit of Venus Bibliography| author=Robert H. van Gent| accessdate=11 September 2009}}</ref>。
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|author = Robert H. van Gent
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金星の日面通過の最初の観測は、[[1639年]][[12月4日]](当時イギリスで使われていた[[ユリウス暦]]では[[11月24日]])に[[エレミア・ホロックス]]によって彼の居住地であったMuch Hooleという[[イングランド]]の[[プレストン (イングランド)|プレストン]]の近くにある町で行われた。彼の友人であった[[ウィリアム・クラブトリー]]も、[[マンチェスター]]の近くの[[サルフォード]] ([[:en:Salford|Salford]]) から観測を行った。ケプラーは1631年と[[1761年]]の日面通過を予測していた。ホロックスは金星の軌道に関するケプラーの計算を修正し金星の日面通過は8年おきに対で起こることに気づき[[1639年]]の日面通過を予測したが、はっきりとした時間までは確信が無かった。しかし彼は一日中観測していた結果、幸運にも太陽を覆っていた雲が日没の僅か1時間半前に晴れたため観測に成功した。しかしホロックスの観測結果は、彼が亡くなったずっと後の[[1661年]]まで出版されなかった<ref name="UCL-book">{{Cite book|title=Jeremiah Horrocks - young genius and first Venus transit observer|author= Paul Marston|year=2004|publisher=University of Central Lancashire|pages=14–37}}</ref>。いずれにしろ、彼が見積もった太陽系の大きさは実際の大きさの半分程度だった。
|title = Jeremiah Horrocks - young genius and first Venus transit observer
|author = Paul Marston
|year = 2004
|publisher = University of Central Lancashire
|pages = 14–37
}}</ref>。いずれにしろ、彼が見積もった太陽系の大きさは実際の大きさの半分程度だった。
 
=== 18世紀 ===
[[エドモンド・ハレー]]の提案により、1761年と[[1769年]]の日面通過が[[視差]]を使った厳密な1[[天文単位]]の値の決定に挑戦するため使われることとなった。多数の探検隊が世界の様々な場所へ日面通過を観測するため派遣された<ref name="RP">{{Cite web|url=http://www.astronomy.ohio-state.edu/~pogge/Ast161/Unit4/venussun.html|title=Lecture 26:How far to the sun? The Venus Transits of 1761 & 1769|author= Prof. Richard Pogge|accessdate=25 September 2006}}</ref>。事実上これが初めての国際的な科学共同研究であった。ある探検隊は最も不運だった[[ギヨーム・ル・ジャンティ]]によって引き受けられていた。彼はこの失敗に終わった旅の帰途で行方不明となり生還の際には既に法的に死んだと宣告されてしまっており、地位と妻を失ってしまった<ref name="RP"/>。また他のある探検隊は[[ジェームズ・クック]](キャプテン・クック)の最初の航海であり、1769年の日面通過を[[タヒチ島|タヒチ]]から観測した<ref name="cook-book">{{Cite book|title=The Voyages of Captain Cook|editor= Ernest Rhys|year=1999|publisher=Wordsworth Editions Ltd|pages=29–30|isbn = 1-84022-100-3}}</ref>。彼が[[ニュージーランド]]へ航海する前のことである。1761年の金星の日面通過の際に[[サンクトペテルブルク]]で行った観察に基づいて、[[ミハイル・ロモノーソフ]]は金星に[[大気圏|大気]]があることを予測した<ref name="ML">{{Cite journal|journal=Proceedings of the International Astronomical Union|title=Mikhail Lomonosov and the discovery of the atmosphere of Venus during the 1761 transit|author = Mikhail Ya. Marov |year=2004|pages=209–219|publisher= Cambridge University Press}}</ref>。
[[エドモンド・ハレー]]の提案により、1761年と[[1769年]]の日面通過が[[視差]]を使った厳密な1[[天文単位]]の値の決定に挑戦するため使われることとなった。多数の探検隊が世界の様々な場所へ日面通過を観測するため派遣された<ref name="RP">{{Cite web
|url = http://www.astronomy.ohio-state.edu/~pogge/Ast161/Unit4/venussun.html|title=Lecture 26:How far to the sun? The Venus Transits of 1761 & 1769
|author = Prof. Richard Pogge
|accessdate = 25 September 2006
}}</ref>。事実上これが初めての国際的な科学共同研究であった。ある探検隊は最も不運だった[[ギヨーム・ル・ジャンティ]]によって引き受けられていた。彼はこの失敗に終わった旅の帰途で行方不明となり生還の際には既に法的に死んだと宣告されてしまっており、地位と妻を失ってしまった<ref name="RP"/>。また他のある探検隊は[[ジェームズ・クック]](キャプテン・クック)の最初の航海であり、1769年の日面通過を[[タヒチ島|タヒチ]]から観測した<ref name="cook-book">{{Cite book
|title=The Voyages of Captain Cook
|editor= Ernest Rhys
|year=1999|publisher=Wordsworth Editions Ltd|pages=29–30|isbn = 1-84022-100-3}}</ref>。彼が[[ニュージーランド]]へ航海する前のことである。1761年の金星の日面通過の際に[[サンクトペテルブルク]]で行った観察に基づいて、[[ミハイル・ロモノーソフ]]は金星に[[大気圏|大気]]があることを予測した<ref name="ML">{{Cite journal
|journal = Proceedings of the International Astronomical Union
|title = Mikhail Lomonosov and the discovery of the atmosphere of Venus during the 1761 transit
|author = Mikhail Ya. Marov
|year = 2004
|pages = 209–219
|publisher = Cambridge University Press
}}</ref>。
 
=== 19世紀 ===
{{右|
[[ファイル:1882 transit of venus.jpg|thumb|240px|right|[[1882年]]の金星の日面通過]]
[[ファイル:El-Transito-De-Venus.jpg|thumb|240px|right|金星太陽面経過観測記念碑<br /><small>[[神奈川県]][[横浜市]][[西区 (横浜市)|西区]]の[[横浜紅葉坂|紅葉坂]]脇にある。<br />[[1874年]]の観測から100年を記念して、[[1974年]]に建てられた。</small>]]
}}
[[1874年]]の金星の日面通過では、欧米各国が世界70か所以上に観測隊を派遣した。この時は日本も日面通過の全過程が観測可能な地域だったため[[フランス]]、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]、[[メキシコ]]がそれぞれ観測隊を派遣した。当時の日本はまだ[[明治維新]]、開国後間もない時期であり、{{要出典範囲|1=明治新政府も当初は観測隊の目的がよく理解できずに困惑したようであるが目的が純粋に科学的なものだと知ると欧米の進んだ科学技術を吸収できる絶好の機会だと考え|date=2013年6月}}、観測隊に便宜を図るとともに観測技術を学ぶことを[[水路部 (日本海軍)|水路寮]](現在の[[海上保安庁]][[海洋情報部]]の前身)に命じた。フランス隊とアメリカ隊は長崎<ref>{{Cite web|url=http://fas.kaicho.net/others/venus/venus.htm |title=長崎金星観測碑 |accessdate=2010-01-16}}</ref>、メキシコ隊は横浜を拠点に<ref>{{Cite web|url=http://homepage1.nifty.com/tukahara/venus/kinenhi.htm |title=1874年金星太陽面経過観測記念碑(横浜) |accessdate=2010-01-16}}</ref>それぞれ観測を行った。フランス隊は長崎の天候に不安を感じたため神戸に別働隊を派遣し、これに日本人留学生の[[清水誠 (実業家)|清水誠]]も同行した<ref>{{Cite web|url=http://homepage1.nifty.com/tukahara/venus/kobe.htm |title=明治7年神戸における金星日面通過観測 |accessdate=2010-01-16}}</ref>。彼は日本人で初めて、金星の日面通過の写真を15枚撮影することに成功した。なお、この時アメリカ隊は[[ウラジオストク]]隊とも協力しながら長崎とワシントン間、長崎と東京間それぞれの経度差観測も行い、これによって日本の正確な経度が初めて決定された<ref>[http://www.geocities.co.jp/Technopolis-Mars/3820/hanasi/nichimen/nichimen.html 金星の日面通過]</ref>。{{see also|経度の歴史#通信網の発展と経度}}
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=== 距離測定の限界 ===
[[ファイル:Venus sun disk progress observation monument. It is in Yamate, Naka-ku, Yokohama-shi, Kanagawa. It was built on December 9, 1974 in commemoration of 100 years by observation of December 9, 1874..JPG|thumb|240px|right|金星太陽面経過観測地点記念碑。神奈川県横浜市中区山手にある。1874年12月9日の観測から100年を記念して、1974年12月9日に建てられた。]]
日面通過の開始と終了の正確な時間を測定することは、ブラック・ドロップ効果のために失敗した。ブラック・ドロップ効果は数十秒間続いたため、日面通過の継続時間の精度に大きな悪影響を与えたのである。ブラック・ドロップ効果は長い間金星の濃密な大気に原因があると考えられ、初期には金星が大気を持つという最初の現実的な証拠と考えられた。また、地球の大気の揺らぎによるなどの説も唱えられた。しかし最近の研究では、これは当時の望遠鏡の精度が悪くピントが上手く合っていなかったための光学的な現象だったことが実証されている<ref>{{Cite web| url=http://www.aas.org/publications/baas/v35n5/aas203/26.htm |title=Explanation of the Black-Drop Effect at Transits of Mercury and the Forthcoming Transit of Venus |date=2004-01-04 |accessdate=2010-01-16}}</ref>。
|url = http://www.aas.org/publications/baas/v35n5/aas203/26.htm
|title = Explanation of the Black-Drop Effect at Transits of Mercury and the Forthcoming Transit of Venus
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}}</ref>。
 
いずれにしろ、現代では1天文単位の厳密な値は[[宇宙船]]の[[遠隔測定法]]や[[太陽系]]内の天体の[[レーダー]]観測で分かっている。その結果、[[18世紀]]の日面通過時間の実験は今日では重要な天文学的研究というよりも「科学プロジェクト」として繰り返されるようになっている。
 
== 過去と未来の日面通過 ==
日面通過は現在6月か12月にだけ起こる(表を参照)。この日付は年代と共にゆっくりと遅い時期になっていく。1631年以前は、この日付は5月か11月であった<ref name="FENASA" />。日面通過は普通対で、8年離れたほぼ同じ日に起きる。これは地球の8年の長さが金星の13年の長さとほとんど同じためであり、そのため8年ごとに金星と地球はおおよそ同じ位置関係になる。この近さは普通対で日面通過を起こすには十分であるが、3つ組みの日面通過を起こすには十分でない<ref name="FENASA" />。例えば、2004年6月8日と2012年6月6日には金星の日面通過が起きた。しかし、そのほぼ8年後の2020年6月3日には18時50分頃 ([[協定世界時|UTC]]) に金星が太陽の中心まで約0.5度(太陽の視直径とほぼ同じ)まで近づくだけに終わり、日面通過は起こらない。対で起こらなかった直近の日面通過は[[1153年]]に起きた。かろうじて2846年と2854年は対で起こるが、3089年は対で起こらない。2854年には金星は地球の中心から見ると僅かに太陽を外れるが、一部だけの日面通過が南半球の一部から見られる<ref name="nao1">{{Cite web|url=http://www.hmnao.com/nao/transit/|title=Transits of Venus 1000 AD – 2700 AD|author=Steve Bell|publisher=HM Nautical Almanac Office|year=2004|accessdate=25 September 2006}}</ref>。
|url = http://www.hmnao.com/nao/transit/
|title = Transits of Venus 1000 AD – 2700 AD|author=Steve Bell
|publisher = HM Nautical Almanac Office
|year = 2004
|accessdate = 25 September 2006
}}</ref>。
 
{| class="wikitable"
|+金星の日面通過
!rowspan="2"|日面通過の<br/>中央時間の日付!!colspan="3"|時間 ([[協定世界時|UTC]])!!rowspan="2"|備考!!rowspan="2" style="white-space:nowrap"|日面通過の進路<br/>(HM航海暦局)
|-
!開始!!中央!!終了
金星の日面通過は稀な現象であることから、人間の歴史の大きな転換を表す重要な現象だと世界の様々な文化で考えられてきた{{要出典|date=2013年6月}}。これは[[マヤ文明]]やその他の[[古代]][[アメリカ合衆国|アメリカ]][[文明]]について、また[[インド]]の[[ヴェーダ]][[伝承]]や[[メソポタミア]]の[[西洋占星学]]の起源についての事実である{{要出典|date=2013年6月}}。
 
『[[金星の日面通過 (演劇)|金星の日面通過]]』([[:en:Transit of Venus (play)|Transit of Venus]]) は[[モーリン・ハンター]] ([[:en:Maureen Hunter|Maureen Hunter]]) による演劇の題名でもあり、地球上の様々な場所で金星の日面通過を観察するための[[ギヨーム・ル・ジャンティ]]の努力を脚色したものである。
 
== 脚注 ==