「虹作戦」の版間の差分

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[[1970年]][[春]]、[[法政大学]]の学生で[[中核派]]出身の[[大道寺将司]]らが結成した「Lクラス闘争委員会」は尖鋭化の一途をたどり、極端な[[反日思想]]のもと実力行使も辞さないまでに過激化していった。[[1972年]][[冬]]、東アジア反日武装戦線を名乗る大道寺らは本格的な武装闘争の準備を開始、そのターゲットの中には「幾千万人ものアジア人民を圧殺した、この大犯罪人を処刑することは、反日思想の当然の帰結である」として[[昭和天皇]]が上がっていた。
 
[[1973年]]頃から、暗殺計画が浮上していたが、具体化し始めるのは翌年[[1974年]]からである。犯人グループは天皇の行動を調べ、全国各地で多様な公務をこなしながらも毎年[[8月14日]]だけは[[那須御用邸]]から[[皇居]]に[[お召し列車]]で帰還し、翌[[8月15日]]の[[全国戦没者追悼式]]に備えるという行動パターンをつかんだ。彼らはこのお召し列車を天皇もろとも爆破することを決意、爆弾の設置場所は、[[埼玉県]]と[[東京都]]の都県境に架かる[[東北本線]][[荒川橋梁 (東北本線)|荒川橋梁]]([[赤羽駅|赤羽]]-[[川口駅|川口]]間)とした。彼らは[[昭和|昭和時代]]を「'''昭和49年8月14日'''」をもって終わらせる作戦に高揚したという。
 
=== 決行 ===