「ニュージーランド交響楽団」の版間の差分

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== 概要 ==
ウェリントン・タウンホール」と「マイケル・ファウラーセンターを本拠地に国内外で演奏活動を行い、年間公演数は100を超える。ニュージーランドの原住民族[[マオリ|マオリ族]]出身アーティストと連携し、[[パフォーマンスアート]]の総合演出を担当することもある。傘下に国立ユースオーケストラ(1959年設立、略称:NZSO NYO)を持つ。
 
== 歴史 ==
1940年にイギリス植民地100周年を祝う式典のため、イギリス出身の指揮者・アンダーソン・タイラーの下、100周年際記念オーケストラを結成。ニュージーランド政府が国立放送局傘下の交響楽団として設立を決めるも、[[第二次世界大戦]]の影響を受けオーケストラは解散する。戦後、[[1946年]]にラジオ・ニュージーランド(Radio New Zealand)運営オーケストラとして設立され、1947年に初演を迎える。初代指揮者にはタイラーが任命される。ラジオ・ニュージーランド傘下では「ニュージーランド放送協会交響楽団(N.Z.B.C.)」として活動。1989年に公的分野の1機関として再編され、現在の楽団名を採用する。現在は2004年からニュージーランド交響楽団法2004により、公的機関として演奏活動を行っている。所属楽団員は約90名。2006年から2014年シーズンまでコントラバス奏者の[[池松宏]]が首席奏者を務めた。
 
長く常任指揮者を置かず、1966年の初共演以降、[[フランツ=パウル・デッカー]]を指揮者(1995年から桂冠指揮者)に起用し、約40年間に渡り良好な関係を築いた。この間、多くの世界的な指揮者を招いていたが、[[1999年]]から[[ジェームズ・ジャッド]]が音楽監督に就任した。このコンビは[[ナクソス (レコードレーベル)|ナクソス・レーベル]]とのレコーディングをはじめ様々な録音演奏活動を行い高い評価を得た。2000年から2005年シーズンまで[[マティアス・バーメルト]]が首席客演指揮者を務めた(現在は客演指揮者)。
 
[[2008年]]シーズンより[[フィンランド]]出身の若手指揮者[[ピエタリ・インキネン]]が音楽監督に就任。ジャッドは名誉音楽監督の地位に就いている。
 
2016年3月よりインキネンの後任として、[[エド・デ・ワールト]]が音楽監督に就任予定<ref>[https://www.nzso.co.nz/news/post/2015/06/nzso-announces-new-music-director-edo-de-waart/ NZSO公式発表(2015年6月)]</ref>。インキネンは名誉指揮者の地位に就任予定する
 
海外公演では、1992年に[[セビリア万国博覧会]](フランツ=パウル・デッカーとの共演)、2005年に[[BBCプロムス]]・[[コンセルトヘボウ]]、[[2005年日本国際博覧会|愛知万博]]開催時にはジャッドとのコンビで来日し演奏活動を行った。2008年8月に、2008年北京オリンピック文化祭へ参加し、インキネンとのコンビで中国公演、2010年には中国上海公演とヨーロッパツアー(ドイツ、スロベニア、オーストリア、スイス公演)を行った。
 
[[アメリカ合衆国|アメリカ]]・ニュージーランドの合作映画『[[ロード・オブ・ザ・リング]](第1部:旅の仲間)』の[[サウンドトラック]]の演奏を、[[ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団]]との合同オーケストラで担当したことも話題となった。
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ウェリントン公演とオークランド公演のコンサートは、ラジオ・ニュージーランドで放送(生放送・録音放送)される。
 
{{ニュージーランド交響楽団}}]
 
== 脚注 ==
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== 外部リンク ==
*[http://www.nzso.co.nz/ NZSO公式サイト]
 
{{ニュージーランド交響楽団}}]
 
{{DEFAULTSORT:にゆしらんとこうきようかくたん}}