「フェアリー ソードフィッシュ」の版間の差分

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== 戦歴 ==
[[1939年]]からソードフィッシュは[[正規空母]]に搭載され、本格的な運用がなされた。[[1940年]]11月には[[イタリア海軍]]の要港である[[タラント]]を夜襲し、イタリア艦隊に重大な損害を与えた([[タラント空襲]])。[[1941年]]5月の[[ビスマルク (戦艦)|ビスマルク]]追撃戦では[[アーク・ロイヤル (空母・初代)|アークロイヤル]]搭載のソードフィッシュがビスマルクに対して[[雷撃]]を敢行し、操舵装置に損傷を与え、ビスマルク撃沈に一役かった。また、鋼管に布を張った機体構造は外皮に穴が空いても機体の強度低下を招かない事から空中分解しづらく、戦艦ビスマルクとの戦いにおいてスォントン中尉機が'''175箇所も被弾しながら無事に帰還'''するなど、極めて頑丈な一面も持つ。
 
[[1942年]]2月の[[ツェルベルス作戦]]で[[ドーバー海峡]]を突破しようとするドイツ艦艇を阻止するために出撃した第825飛行隊のソードフィッシュ6機は、ドイツ戦闘機の迎撃と艦載対空砲により全滅した。その後、雷撃任務は後継の[[フェアリー バラクーダ]]や[[TBF (航空機)|グラマン アヴェンジャー]]にゆずり、ソードフィッシュは[[大西洋]]や[[バレンツ海]]で[[護衛空母]]に搭載されてUボート狩りに使用された。また、[[太平洋戦争]]序盤においても護衛を受けずに出撃したため、長大な航続距離を持つ日本戦闘機の攻撃により戦果を挙げることもなく壊滅することがあった。
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ソードフィッシュは当時としては旧式である複葉機であり、同時代の最新鋭機に比べ低性能ではあったが、[[第二次世界大戦]]の[[ヨーロッパ]]方面の戦闘に於いてそれなりに活躍する事が出来た。それは[[ドイツ]]や[[イタリア]]などの欧州方面[[枢軸国]]が洋上作戦を展開するための[[航空母艦]]などの航空兵力を保持し得なかったことと、艦隊決戦よりも[[シーレーン]]防衛を重視したイギリス海軍の戦略によるところが大きい。
 
しかし、正規空母の装備が、後継の雷撃機と入れ替わるに連れ、夜間攻撃や対潜哨戒などの任務に充てられるようになると、本来の優れた汎用性と離着艦性能、レーダーやロケット弾等の新兵器の導入と相まって、'''他の艦上攻撃機では真似のできないような活躍'''を見せた。
 
例えば、[[急降下爆撃]]が可能であったのは、[[TBF (航空機)|TBF アヴェンジャー]]より前の艦上雷撃機では本機だけであったし、[[時化]]の多い大西洋では、本機以外の艦上機が全て離艦不能になるような事態も多かった。極めて低速で飛行甲板の短い[[MACシップ]]を成立させたのも本機の存在があればこそであった。また、ツェルベルス作戦の迎撃では負の要素としかならなかった低性能も、長時間にわたって低速で飛行する必要がある対潜哨戒任務では、搭乗員に負担をかけない操縦性の良さと相まって有利な要素となった。このような能力を活かし、ソードフィッシュは終戦まで第一線で活躍し続けた。
 
また、あまりにも低速であったため、ソードフィッシュを狙う戦闘機の多くは、フラップを最大にし、脚を下ろした失速ぎりぎりの状態で攻撃せねばならず、'''逆に失速して墜落する'''機が後を絶たなかった。たとえ高速による一撃離脱攻撃を行っても、重要部に被弾しない限り飛び続けるので厄介だった。[[ビスマルク (戦艦)|戦艦ビスマルク]]を攻撃したさいには、攻撃機の進入速度に合わせて砲弾が至近距離で炸裂する当時最新式の対空砲の迎撃を受けた。ところが、ソードフィッシュの進入速度が対空砲の入力下限をさらに下回る低速だったため、ビスマルクの放った対空砲弾のほとんどはソードフィッシュのはるか前方で炸裂した。結局、この低速が幸いしてソードフィッシュ隊は魚雷攻撃でビスマルクの舵を破壊する致命傷を与えたうえ全機無時に帰還することができた。
 
ソードフィッシュ以降、イギリス海軍は後継雷撃機の独自開発を行い、[[フェアリー アルバコア]]、[[フェアリー バラクーダ]]等を送り出すが、どの機体もソードフィッシュに比べ評価が低く、ソードフィッシュ以上の評価を得たイギリス製雷撃機は現れず終いとなってしまった。一部部隊では、アルバコアの受領後にソードフィッシュに戻った部隊もあった。