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[[アメリカ独立戦争]]中はスペインが独立軍の支援にまわり、[[1779年]]からジブラルタルへの厳重な封鎖を行った([[ジブラルタル包囲戦]])。イギリス軍は[[1782年]]に浮き砲台と包囲兵を撃破し、包囲網を破ることに成功した。翌年には[[パリ条約 (1783年)|パリ条約]]に先立ち、講和が行われ、ジブラルタルは解放された。
 
[[1805年]]、[[トラファルガーの海戦]]ではイギリス海軍の拠点となった。その後、インドへのルートに[[スエズ運河]]の開通で地中海が加わり、[[蒸気機関]]を動力とする[[装甲巡洋艦]]などが海軍で普及すると給炭基地の役割も求められ、ジブラルタルが重要視されるようになった。[[第二次世界大戦]]中もジブラルタル海峡の封鎖を行っていた[[フランス]]が[[ドイツ]]に敗北し、親独政権である[[ヴィシー政権]]が設立されフランス海軍がその指揮下に入ると、イギリス海軍[[H部隊]]がジブラルタルに配備された。[[トーチ作戦]]では[[アメリカ軍]]もジブラルタルを拠点にした。なお、ヒトラーはジブラルタルを陸路から攻略することを企て、[[フランシスコ・フランコ|フランコ]]独裁下のスペインに参戦と協力を要請したが、拒否された。
 
第二次世界大戦後は、東西[[冷戦]]がはじまるもイギリス海軍が役割を縮小すると同時にジブラルタルの軍事的役割も低下している。[[1967年]]に[[地中海艦隊 (イギリス)|イギリス地中海艦隊]]が解体され、これに代わる[[アメリカ海軍]][[第6艦隊 (アメリカ軍)|第6艦隊]]は[[イタリア]]の[[ガエータ]]を拠点にしている。しかし、[[1982年]]の[[フォークランド戦争]]で再び基地の重要性が確認され、現在もイギリス海軍の[[ジブラルタル戦隊]](Gibraltar Squadron)が駐留している。