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'''ランサナ・コンテ'''('''Lansana Conté''', [[1934年]]- )は、[[ギニア]]の[[政治家]]で[[大統領]]。[[首都]]の[[コナクリ]]近郊生まれで、[[スースー族]]出身。
 
ギニアが[[フランス]]統治下にあった[[1955年]]、[[フランス軍]]入隊。のち'''[[アルジェリア]]独立戦争'''に従軍し、その後はギニア西部'''[[ボケ地区''']]軍司令官に就任し、[[大佐]]に任命された。長期独裁政権を敷いた初代大統領[[セク・トゥーレ]]が死去し、国家の最高指導者としての[[カリスマ]]が[[国家]]から失われ動揺が広がっていた[[1984年]][[4月3日]]、コンテは[[クーデター]]を率い権力を掌握、大統領に就任した。
 
大統領就任後、幾度と無く反コンテ・クーデターを切り抜け、事実上の独裁与党'''[[統一前進党''']]を率い独裁政権を維持。1993年、ギニア初の複数政党制による大統領選で当選(得票率51.7%)し、その後も再選を続けた。健康問題の浮上や、新たなる反政府運動などがささやかれ、一時期は死亡説さえ流れたが、自ら否定した。
 
[[category:ギニアの政治家|こんてらんさな]]