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1950年代までにこの地区は労働者階級の地区となり、地区内の優れた建築の多くが劣悪な補修状況に置かれていた。1964年[[シャルル・ド・ゴール]]将軍時代の文化大臣[[アンドレ・マルロー]]はマレ地区を最初の保存地区(secteur sauvegardé)とした。これらの保存地区は文化的に特に重要な地域や建築物を保護し保存するために設けられた。その後の数十年で政府およびパリ市当局は強力な復元活動および復興計画を実行した。
 
主要な、フランス式の大規模な[[タウンハウス]](Hôtels particuliers)は修復が行われて美術館となった。サレ館(Hôtel Salé)には[[ピカソ美術館]]があり、[[カルナヴァレ博物館|オテル・カルナヴァレ]](Hôtel Carnavalet)にはカルナヴァレ博物館(パリ歴史博物館)が、オテル・ドノン(Hôtel Donon)には[[コニャック=ジェイ美術館]]があるといった具合である。マレ地区の西部、ボーブール地区内に[[ポンピドゥー・センター]]やフランス国立近代美術館や<!-- このandは同格です -->世界で最も重要な文化的施設が入る[[ポンピドゥー・センター]]がある。建設は[[レンゾ・ピアノ]]と[[リチャード・ロジャース]]により、1977年に革命的な建築として完成した。
 
===今日のマレ地区===