「日興」の版間の差分

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[[Category:1246年生]]
[[Category:1333年没]]
 
[[1282年]]([[弘安]]5年)の宗祖滅後、門祖は久遠寺の輪番を軸に駿河を中心として甲斐・伊豆方面を布教{{Sfn | 宮崎英修 | 1978 | p = 220b | ps = -但し、輪番を軸とすることを除く。}}{{Sfn | 日蓮宗事典刊行委員会 | 1981 | p = 651a }}。同じく六老僧の一人[[日向 (日蓮宗) |日向]]や、門祖の教化により入信したにも拘らず日向を師と選択した[[南部実長|波木井実長]]と対立した門祖<ref>『原殿御返事』正応元年十二月十六日 日興筆。但し、波木井実長と門祖に関することのみ。</ref>は、[[1288年]]([[正応]]元年)身延の山を降りた{{Sfn | 日蓮宗事典刊行委員会 | 1981 | p = 651a }}{{Sfn | 宗旨建立750年慶祝記念出版委員会 | 2002 | p = 182 }}(身延離山)。この背景には、波木井実長が宗祖の禁じた九品念仏の道場建立を行ったことが考えられる{{Sfn|宗旨建立750年慶祝記念出版委員会| 2002 | p= 182}}。
 
また、日蓮正宗では、門祖は身延離山の際宗祖御灰骨など一切を携えて下山した{{Sfn | 富士学林研究科 | 2006 | p = 156 }}{{Sfn | 宗旨建立750年慶祝記念出版委員会 | 2002 | p = 116 }}とするが、日蓮宗はこれに反駁を加えている{{Sfn | 日蓮宗現代宗教研究所 | 2006 | pp = 68-82}}。
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