「エドワード・バーネット・タイラー」の版間の差分

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タイラーは[[1832年]]、[[ロンドン]]の [[キャンバーウェル]]([[:em:Camberwell|en]])で、財産豊かな[[クエーカー]]信徒でロンドンの[[真鍮]]工場のオーナーであるジョセフ・タイラーとハリエット・スキッパーの息子としてうまれた。
 
[[トッテナム]]のグルーヴ・ハウススクール([[:en:Grove House School|en]])に通っていたが、青年期には両親の死と彼自身の厳格なクエーカーとしての背景のために、大学の[[学位]]は取得しなかった<ref>Lowrie, Robert H. (1917). Edward B. Tylor. American Anthropologist, New Series Vol. 19, No. 2. (Apr. – Jun., 1917), pp. 262-268.</ref>。死後両親の会社を引き継ごうとしていたタイラーは、[[結核]]と思わしき症状を発症したためにそれを取りやめた。[[1855年]]、アドバイスを受け入れ、療養のために温暖な米に旅立った。この経験がタイラーに、他文化を研究するという彼の人生をかけた興味を形成するきっかけとなった。
 
旅行中、タイラーはクエーカー教徒で民族学者・考古学者でもある[[ヘンリー・クリスティ]]([[:en:Henry Christy]])と出会った。クリスティとの出会いは、タイラーに人類学に対する彼の関心を大きく刺激し、先史研究を含むために彼の疑問を広げるのを助けた<ref name="Marett">R. R. Marett, ''Tylor'' (London: Chapman and Hall, 1936)</ref>.。
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