「名鉄美濃町線」の版間の差分

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[[1922年]](大正11年)[[9月14日]]に地方鉄道敷設の免許を取得していたが、建設はされず、幻となった。
 
その後、[[1923年]](大正12年)[[6月19日]]に稲葉郡北長森村 - 同郡鵜沼村間<ref>[http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2955390/9 「鉄道免許状下付」『官報』1923年6月21日](国立国会図書館デジタルコレクション)</ref>の鉄道免許状が下付され、各務原鉄道株式会社が[[1924年]](大正13年)[[4月13日]]が設立された<ref>[http://kindaidl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/936471/546 『日本全国諸会社役員録. 第34回』](国立国会図書館近代デジタルライブラリーコレクション)</ref><ref name="kido10">[http://kindaidl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1190630/53 『地方鉄道及軌道一覧 : 附・専用鉄道. 昭和10年4月1日現在』](国立国会図書館近代デジタルライブラリーコレクション)</ref>。これが実質的に各務線の後継計画となり、美濃電気軌道の援助(子会社化)によって[[1927年]](昭和2年)には長住町駅(現・名鉄岐阜駅) - 東鵜沼駅(現・[[新鵜沼駅]])間の開通を果たす。その後、各務原鉄道は経営難から[[1935年]](昭和10年)[[3月28日]]に名岐鉄道(同年[[8月1日]]名古屋鉄道に改称)と合併し<ref>岐阜のチンチン電車―保存版 p.53。</ref>、名鉄各務原線となった。
 
== 脚注 ==