「趙治勲」の版間の差分

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==人柄・エピソード==
* 4歳で碁を覚え、わずか1年余りでアマチュア高段者並に。
* 対局中、よくぼやく(ぼやき。[[独り言]]のように、自分の碁の内容への不満や落胆を言う)。自分が優勢の時でも、「どこへ石が行くんだろうな」「いけませんねぇ、ホンマに」「ヘボちゃんですねえ、全く」「あほちゃいまんねん、パーでんねんか」「ああーいけん」「'''さすがに負けましたかね こりゃ'''」などと激しくぼやく。かつては[[坂田栄男]]・[[大平修三]]とともに「三ぼやき」と言われた。[[小林光一]]によると、これは考えるリズムをとるためのもので、出る言葉はあまり当てにならないとのこと。調子を取り戻すと、ぼやきは止まる。
** 2014年10月29日に放送された『[[マツコ&有吉の怒り新党]]』の「新・3大○○調査会」のコーナーで、「新・3大 趙治勲のしゃべらずにはいられない囲碁」として取り上げられた。
*[[1991年]] [[世界囲碁選手権富士通杯]]決勝で中国の[[銭宇平]]九段に不戦勝で優勝したが、3位決定戦に出場予定の[[小林光一]]九段も来られずこちらも不戦勝となり、その日の対局は全てなくなってしまう。大盤解説を楽しみに集まった1000人近くのファンのために、急遽、大盤解説者の[[中澤彩子]] (当時初段)と公開対局をしたが、あっさりと敗れてしまった。
* かつては対局中、扇子をかじったり、マッチ棒をポキポキ折りながら考える癖があり、徳用マッチ箱を傍らに置いていた<ref>[http://www02.mai.vip.ogk.yahoo.co.jp/enta/igo/news/20120426dde012040032000c.html 本因坊400年・手談見聞録:/41 治勲時代の幕開け]</ref>。現在は健康器具やハンカチを手に握りながら対局する。
* 盤面に集中し「盤上没我となるあまり、実時間(持ち時間や秒読み)を忘れがちになる。持ち時間を早くに使い果たし、秒読みギリギリで打つことが多い。
**1996年のNHK杯戦 (対[[藤沢秀行]])では、序盤でわざと考慮時間を使い果たして背水の陣を敷き/背水の陣となり)、一勝を挙げたこともある。
**一方、2002年の王座戦第二局では、自らの手番にもかかわらず、対局相手 ([[王銘エン]])の手番だと思い込み、記録係の秒読みのうちに打たなかったため、切れ負けするハプニングを招いた。
**2014年のNHK杯の対[[余正麒]]戦では、対局中に意識が朦朧とし、秒読みにギリギリまで気づかず、打った直後「あれっ?えっ?えっ?(時間)きっ切れちゃった?きっ切れちゃってはないよね?アイタタタ ボ~ッとしちゃったなぁ…」と口にした。
* 碁に対する厳しさや執念を物語るエピソードに事欠かない。
** 対局中、自らの打った悪手に腹を立て、脇息を投げ飛ばしてしまったことがある。
** 自らの頭や頬を叩いたり、髪の毛をかきむしる癖がある。
** 対局を見学していた日本棋院院生が私語をしたところ、ペットボトルを投げつけたことがある。
** 娘が日本棋院院生になった。[[手筋 (囲碁)|筋]]や[[形 (囲碁)|形]]もよく、将来を期待されたにもかかわらず、趙が厳しく接するあまり、やめてしまった<ref>2009年度NHK杯戦、河野臨対趙治勲戦での武宮正樹の解説から。</ref>。
** [[2009年]][[10月8日]]、台風18号の影響で交通機関の乱れから不戦敗の棋士が続出する中、天元戦予選 (対河野貴至戦)のあった趙治勲も不戦敗扱いとなる1分前の59分遅れで対局場に到着。「持ち時間から遅刻時間の3倍分をペナルティとして引く」という規定により、持ち時間3時間のうち2時間57分をペナルティで引かれた趙だったが、持ち時間3分で息も切れ切れという悪環境にもかかわらず勝利をおさめた<ref>2009年10月10日放送の「[[囲碁・将棋ジャーナル]]」で[[武宮正樹]]が証言。また[http://www.asahi.com/igo/topics/TKY200910140307.html 朝日新聞2009年10月14日付]を参照。</ref>。
*[[挑戦手合制|タイトルマッチ]]七番勝負 (棋聖戦・名人戦・本因坊戦)の戦績は29勝9敗 (2010年現在)。3連敗4連勝も3回達成している「七番勝負の鬼」 (ただし[[林海峰]]に3連勝4連敗したこともある)。
*[[将棋]]が趣味。ネット将棋の[[ハンドルネーム]]は、将棋棋士の[[羽生善治]]と[[谷川浩司]]からとって「ハブタニ」であると明かしている。
*[[ゴルフ]]を大変愛好しており、その影響か、顔が赤く日焼けしていることがある。地方で対局をする場合も、その前にゴルフでリフレッシュを図ることが多く、受け入れ担当者はゴルフ場の手配をしておくことが「定石」といわれる<ref>荒谷一成『囲碁名棋士たちの頭の中』 (中経出版)</ref>。
*解説が[[ユーモア]]溢れ、非常に面白いことで有名。
** 第60回のNHK杯では、対局者の[[山田規三生]]と[[向井千瑛]]にアフレコをした事もある。
**[[1991年]] [[世界囲碁選手権富士通杯]]決勝で中国の[[銭宇平]]九段に不戦勝で優勝したが、3位決定戦に出場予定の[[小林光一]]九段も来られずこちらも不戦勝となり、その日の対局は全てなくなってしまう。大盤解説を楽しみに集まった1000人近くのファンのために、急遽、大盤解説者の[[中澤彩子]] (当時初段)と公開対局をしたが、あっさりと敗れてしまった
** [[2004年]]の[[加藤正夫]]の追悼番組では、 (聞き手を務めたにも関わらず)石田の悪手を遠慮なく次々と指摘したり (下記参照)、自分と加藤の碁の解説をした際にはゴルフの話に持ち込み、「加藤さんがゴルフうまいんだ、また」「加藤さんのスイングを僕は真似したいんだけど…」などと、解説の最中にも関わらず本当に真似を行なった。
**「NHK囲碁講座」2014年4月号から連載の「二十五世本因坊治勲のちょっといい碁の話」、ユーモア溢れる軽妙洒脱な語り口で綴られる大物棋士たちとの意外なエピソードが人気を博している。
*「入門者・初心者は、最初は少ない路数の碁盤で学ぼう」という考えから、「よんろの碁」が登場するかなり前の1994年に発行された『はじめて打つ碁―誰でも楽しく碁が打てるようになる』では、他棋士があまり扱わない3路盤・4路盤・5路盤を詳しく解説している。
* 碁に対する厳しさや執念を物語るエピソードに事欠かない。
** 対局中、自らの打った悪手に腹を立て、脇息を投げ飛ばしてしまったことがある。
** 自らの頭や頬を叩いたり、髪の毛をかきむしる癖がある。
** 対局を見学していた日本棋院院生が私語をしたところ、ペットボトルを投げつけたことがある。
** 娘が日本棋院院生になった。[[手筋 (囲碁)|筋]]や[[形 (囲碁)|形]]もよく、将来を期待されたにもかかわらず、趙が厳しく接するあまり、やめてしまった<ref>2009年度NHK杯戦、河野臨対趙治勲戦での武宮正樹の解説から。</ref>。
** [[2009年]][[10月8日]]、台風18号の影響で交通機関の乱れから不戦敗の棋士が続出する中、天元戦予選 (対河野貴至戦)のあった趙治勲も不戦敗扱いとなる1分前の59分遅れで対局場に到着。「持ち時間から遅刻時間の3倍分をペナルティとして引く」という規定により、持ち時間3時間のうち2時間57分をペナルティで引かれた趙だったが、持ち時間3分で息も切れ切れという悪環境にもかかわらず勝利をおさめた<ref>2009年10月10日放送の「[[囲碁・将棋ジャーナル]]」で[[武宮正樹]]が証言。また[http://www.asahi.com/igo/topics/TKY200910140307.html 朝日新聞2009年10月14日付]を参照。</ref>。
 
== 他の棋士たちとのかかわり ==