「ファテープル・シークリー」の版間の差分

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'''ファテープル・シークリー'''([[英語]]:''Fatehpur Sikri''、[[ウルドゥー語]]:''{{Lang|ur|{{Nastaliq|فتحپور سیکری}}}}''、[[ヒンディー語]]:{{Lang|hi|फ़तेहपुर सीकरी}})は、[[インド]]の[[ウッタル・プラデーシュ州]][[アーグラ]]約40km西に位置する、[[ムガル帝国]]第3代皇帝[[アクバル]]によって建設された都市。
 
当時アクバルは跡継ぎに恵まれなかったが、この地に住む[[イスラム教]]の聖者[[サリーム・チシュティー]]([[:en:Salim Chishti|en]])を訪ね、世継ぎの問題について相談したところ<ref name="kamiya">神谷(1996)pp.118-125</ref>ところ、息子を授かるだろうとの予言を授けられた。そのおかげで王子サリーム(のちの[[ジャハーンギール]]が誕生し、記念としてここに新たな都を造り、アーグラから遷都した<ref name="kamiya" />。しかし、慢性的な水不足と猛暑のため、わずか14年間(1574年~1588年)しか使用されず廃墟となった<ref name="kamiya" />。
 
遺跡群は[[1986年]]、[[国際連合教育科学文化機関|UNESCO]]の[[世界遺産]]に登録された。
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*'''ディーワーネ・アーム'''(公謁殿、Diwan-i-Am)は皇帝と国民が接する開放的な建築物、広い中庭をアーケードが取り囲む<ref name="kamiya" />。
*'''ディーワーネ・ハース'''(内謁殿、Diwan-i-Khas)'は皇帝の私的な謁見のための建物である。2階の吹き抜けに対角上のブリッジを掛け渡した。ブリッジの交差部分にアクバルが腰掛け、1階で諸派の賢人知者が議論するのを見ていた<ref name="kamiya" />。
*'''ジョーダー・バーイー殿'''は、アクバルの妃である[[マリム・ザマーニー([[:en:Mariam-uz-Zamani|en・ベーグム]]の名前がつけられたアクバルの宮殿である。ペルシ式の中庭建築であるが、[[イーワーン]]を伴わないインド建築の要素を持っている<ref name="kamiya" />。
 
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File:Jama Masjid Agra.jpg|金曜モスク
File:Mihrab at Jama Masjid, Fatehpur Sikri.jpg|金曜モスク内礼拝堂のミフラーブ
File:Fatehpur Sikri2.jpg|ブランド・ダルワーザ
File:Fatehpur Sikri - Salim Chishti Shrine.jpg|サリーム・チシュティー廟
File:Salim Chishtis tomb and Islam Shahs tomb in Jama Masjid courtyard, Fatehpur Sikri.jpg|右の建物がイスラーム・ハーン廟(左の白色の建物は、サリーム・チシュティー廟)
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*[http://www.kamit.jp/02_unesco/14_fatehpur/fatehpur.htm ユネスコ世界遺産(インド) ファテプル・シークリーの都]
 
{{History-stub|ふあてふるしくり}}
{{インドの世界遺産}}