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[[1986年]](昭和61年)5月、借金問題など司家の経営上の不祥事により、25世吉田長孝と[[栃錦清隆|春日野]]理事長(当時)との会談で、横綱授与の儀式を全面的に協会へと委ね、当面は協会との関係を中断する旨を双方了解した。なお、[[1983年]](昭和58年)7月に推挙の第59代横綱[[隆の里俊英]]までは司家も推挙式に臨席し、毎年十一月場所後に司家の土俵での奉納土俵入りが行われていたが、関係中断によって1986年7月に推挙の第60代横綱[[北尾光司|双羽黒光司]]以降、司家は推挙式には臨席せず、司家土俵での土俵入りも事実上の廃止となり、行われなくなった。これに伴い、吉田家が[[学生横綱]]に絹手綱を授与する儀礼も、事実上廃止されている。
 
かつて吉田司家の屋敷は熊本市北千反畑町([[中央区 (熊本市)|中央区]]北千反畑町の[[藤崎八旛宮]]参道脇にあり、土地約1000平方メートルの敷地に吉田追風の住宅、[[天照大神]]・[[住吉大神]]・[[戸隠神社|戸隠大神]]の三神(十三代吉田追風が相撲関係者の崇拝神として定めたという「相撲三神」)を奉斎した神殿、吉田司家宝物館、土俵など建物計約200平方メートルがあったが、[[2005年]]([[平成]]17年)2月に土地・建物が[[熊本地方裁判所]]にて[[競売]]にかけられ、[[穴吹工務店]]([[高松市]])に約2億円で売却された。建物はすべて取り壊され、跡地には同社の[[マンション]]が建設された。参道に面したマンション敷地内に「吉田司家跡」の[[石碑]]が存在する。宝物館には多数の相撲関係資料や美術品等が所蔵されていたが、その行方について日本相撲協会は「現在どうなっているか、まったく分からない」と述べている<ref>『熊本日日新聞』2005年2月4日</ref>。
 
その後吉田司家は相撲界への復帰と権威の回復を目指して支援者らとともに活動しており、[[2015年]]には[[阿蘇市]]の[[阿蘇内牧温泉]]に新たな拠点を置く計画を公表、同年4月、阿蘇市小里において「相撲三神」の神霊を熊本市から移す「仮殿遷座祭」を挙行した。司家は今後本殿や土俵を建設して相撲文化の拠点となる施設を設け、相撲大会の開催や横綱奉納土俵入りなどかつての儀礼の復活させる構想を示している。「仮殿遷座祭」には[[松野頼久]][[衆議院議員]]、[[佐藤義興]]阿蘇市長、髙島和男[[熊本県議会]]議員ら政界関係者も出席し司家再興への支援の意向を表明したものの、こうした司家・熊本側の動きに対し日本相撲協会は全く反応していない。
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