「アッピア街道」の版間の差分

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[[File:Porta St. Sebastiano Rome 2011 1.jpg|thumb|right|180px|ローマ市街の境界[[サン・セバスティアーノ門]]]]
[[File:Via Appia Antica photo-4.JPG|thumb|right|180px|第3マイル付近の[[チェチーラ・メテッラの墓]]]]
[[Image:Via Appia Antica, Rome, 2004.jpg|thumb|right|180px|ローマ近郊、アッピア街道立公園]]
[[紀元前4世紀|紀元前312年]]に当時の[[ケンソル]]であった[[アッピウス・クラウディウス・カエクス]]の要請により[[元老院 (ローマ)|元老院]]の反対のなか、すでに存在した[[ローマ]]と[[アルバーノ]]丘陵を結んでいた街道を改修、拡大し敷設が始まった。敷石には頑丈な[[ヴェスヴィオ山|ウェスウィウス山]]の[[火山岩]]が用いられた。
 
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ローマ布教に失敗し追われる身となった聖[[ペトロ]]が、アッピア街道の中途でイエスの幻影に出会い、「主よ、どこへ行かれるのですか(Domine, quo vadis ?)」と尋ねたところとしても知られる。現在その場所には[[ドミネ・クォ・ヴァディス教会]]が建てられている。そして、ペトロは再度ローマへ赴き、逮捕されて逆さ十字架の刑に処された。刑場の跡地は現在の[[バチカン]]であり、墓所は[[サン・ピエトロ大聖堂]]となっている。
 
[[サン・セバスティアーノ門]]を起点とし、[[ドミネ・クォ・ヴァディス教会]]の地点より10キロほどの緑地帯が続く「旧アッピア街道(ヴィア・アッピア・アンティカ)」は、ローマ帝国時代の石畳と松並木([[イタリアカサマツ]])の風景、街道周囲の遺跡が今も残る[[アッピア街道立公園]]として整備されている。並行して「新アッピア街道(ヴィア・アッピア・ヌオヴァ)」という高速道路も存在し、[[ローマ・チャンピーノ空港]]を経由して南東方向へと伸びている。チャンピーノを過ぎたあたりで立公園の旧道は終了し、新アッピア街道と合流して現代の道路の様相となる。
 
==マイルストーン==