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ゲリラ

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農村ゲリラ
現代においてゲリラ戦の有効性を実証したのは、[[国共内戦#経緯|第一次国共内戦]]において、[[毛沢東]]が率いた[[中国共産党]]の[[紅軍]]であった。[[延安市|延安]]に[[長征]]した後の彼は『[[遊撃戦論]]』などの著作の中で、それまでの[[マルクス主義]]における革命戦術の唯一の公式となっていた都市プロレタリア蜂起戦術を批判し、山岳を根拠地とする[[村落|農村]]ゲリラ戦術を理論化し、国共内戦と[[日中戦争]]で実践した。背景には[[中国の歴史|中国史]]に数ある[[農家|農民]]反乱の伝統があったが、毛沢東は単純に農民の数をあてにするのではなく、険阻な山岳に[[士気]]の高いゲリラ軍が入って長期抗戦の態勢を整え、それを一般の農民が支援するというスタイルを編み出す。<!--認められないとすると、下記の記述と矛盾する。(これは農民などの民間人と同じ平服で紛れ込む、民間人の保護を旨とする当時の[[国際法]]に反する戦術であり、[[捕虜]]資格が認められない作戦だった。)-->
 
[[第二次世界大戦]]では、[[中華民国]]、[[ポーランド]]、[[ユーゴスラビア]]、[[ギリシャ]]、[[ソビエト連邦|ソ連]]、[[フランス]]、[[スロバキア]]、[[フィリピン]]、[[ベトナム]]、[[イタリア]]([[ベニート・ムッソリーニ|ムッソリーニ]]の失脚後)など、[[枢軸国]]の侵攻を受けた諸国で占領軍に対するゲリラ戦が展開され、[[ヨーロッパ]]のゲリラは、特に[[レジスタンス運動]]や[[パルチザン]]と呼ばれた。これらのゲリラの主任務は、[[連合国 (第二次世界大戦)|連合国]]軍の正規軍と連携し、戦線の後方で[[破壊活動]]や[[諜報活動]]をすることであった。ただし、中国とユーゴスラビアのゲリラは山岳地から勢力を拡大して[[都市]]の争奪にまで乗り出した。大戦末期に[[ソビエト連邦軍|ソ連軍]]が[[東ヨーロッパ|東欧]]や[[バルト三国]]を占領すると、枢軸軍と戦っていたゲリラは国民の解放を求めてソ連軍相手にゲリラ戦を続け、[[ウクライナ]]や[[リトアニア]]、[[エストニア]]、[[ラトビア]]では[[ウクライナ蜂起軍]]や[[森の兄弟]]による抵抗運動が戦後も暫く続いた。
 
第二次大戦後、[[脱植民地化]]時代に入った[[アジア]]と[[アフリカ]]の[[植民地]]や[[開発途上国|低開発国]]では、[[社会主義]]の思想的影響の下で独立運動や反[[帝国主義]]闘争が盛んになった。中国では、日中戦争中から[[日本軍]]に対するゲリラ戦を優位に進め、[[第二次国共内戦]]に勝利した毛沢東の[[中国共産党]]が[[1949年]]に[[中華人民共和国]]を建国し、社会主義圏([[東側諸国]])に加盟した。その中で、[[宗主国]]を相手に[[独立戦争]]を開始する人々も現れた。独立戦争のほとんどはゲリラ戦の形をとり、中でも[[アルジェリア戦争|アルジェリア独立戦争]]、[[第一次インドシナ戦争]]、[[ベトナム戦争]]では、[[フランツ・ファノン]]や[[ホー・チ・ミン]]と[[ヴォー・グエン・ザップ]]を理論的指導者としたゲリラ戦が重要な役割を担った。
 
[[ファイル:GuerrilleroHeroico.jpg|thumb|200px|left|『ゲリラ戦争』の著者、チェ・ゲバラ。[[アルベルト・コルダ]]の撮影したこの写真のタイトルは、「[[英雄的ゲリラ]]」である]]
独立後、主としてアジアで、[[毛沢東主義]]の思想的影響を受けて社会主義革命を目指すゲリラが興ったが、大半が失敗し、中国の影響下にはない[[キューバ]]の[[フィデル・カストロ]]と[[チェ・ゲバラ]]の反独裁ゲリラが成功をおさめた。その後、[[ラテンアメリカ]]では[[キューバ革命]]の影響をうけて[[親米]][[独裁政権]]・[[軍事政権]]に反対するゲリラが起こされるが、後に世界各国のゲリラの教本にもなった『[[ゲリラ戦争]]』で[[ゲバラ主義]]が標榜した、社会主義革命のために都市のプロレタリアによる蜂起ではなく、農村ゲリラ戦術を主要路線とするゲリラ闘争は、[[1967年]]10月にゲバラ自身が[[ボリビア]]で戦死したことにより重大な挫折を来した。その後ラテンアメリカにおける革命運動は、[[1968年]]の[[ペルー]]における[[フアン・ベラスコ・アルバラード]]将軍の社会主義を標榜した[[クーデター]]や、[[1970年]]の[[チリ]]における[[サルバドール・アジェンデ]]の[[平和革命]]など、[[1973年]][[9月11日]]にチリ革命が[[チリ・クーデター]]によって終焉するまで、ゲリラ闘争以外で社会主義を達成しようとする動きに移行したが、チリ・クーデター後には[[国際通貨基金|IMF]]や[[世界銀行]]による構造調整を受け入れた軍事政権に対して再びゲリラ戦争が開始された。この種のゲリラ闘争は[[1979年]]の[[ニカラグア]]での[[サンディニスタ革命]]など成功するものもあったものの、[[グアテマラ内戦]]の諸勢力や[[コロンビア革命軍]]、[[センデロ・ルミノソ]]のように多くは敗北するか、長引く[[内戦]]ですべての当事者が疲弊し、さらに冷戦が終結するとかつてゲリラ側が掲げていた社会主義の大義は大きく歪み、[[1990年代]]になるとその一部は[[麻薬]]取引に資金源を見出すようになった。
 
なお、[[ニカラグア]]の[[コントラ]]や[[コロンビア]]の[[右翼]][[民兵]]組織([[パラ・ミリタリー]])のように、親米右派であり、[[アメリカ軍]]や[[中央情報局|CIA]]に援助、教育を受けていた私兵組織もまた、ゲリラ戦(と[[テロリズム]])を[[戦術]]として多用する事となった<ref>特異なケースであるものの、日本の[[三島由紀夫]]が主宰した[[民族派]]団体『[[楯の会]]』も(左翼革命発生時においての反動作戦としての)ゲリラ戦を研究対象としていた</ref>。また、後掲の[[キプロス]]におけるエノシス運動も、毛沢東などのゲリラ理論を踏まえたものであった。
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