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{{by|1984年}}は自己最高の29セーブを挙げ、[[最多セーブ投手 (日本プロ野球)|最多セーブ投手]]となる。だが、{{by|1985年}}シーズン途中で[[先発投手|先発]]に転向。精彩を欠く。
 
{{by|1986年}}オフ、[[千葉ロッテマリーンズ|ロッテオリオンズ]]の主砲[[落合博満]]と1対4の大型トレードが発表される。最後まで納得せずに抵抗するが、当時監督に就任した[[星野仙一]]が自宅に出向き牛島を説得した。そして、{{by|1987年}}、落合とのトレードで[[上川誠二]]・[[平沼定晴]]・[[桑田茂]]と共にロッテへ移籍した。移籍に当たっては星野が「将来中日の指導者として呼び戻す」と述べたが、結局中日復帰は実現せず口約束で終わっており自身も後に他球団へ指導者として移籍している。<ref>2004年には中日の監督候補に挙げられていたが、トレード相手である落合博満が監督に就任。自身の後輩である[[立花龍司]]の著書『野手のための筋力と眼のトレーニング』より</ref>
 
=== ロッテ時代 ===