「篠塚英子」の版間の差分

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== 経歴 ==
* [[1942年]][[5月1日]]、[[山形県]][[山形市]]出身。
=== 学歴 ===
* [[1958年]]、[[新潟県立新潟中央高等学校]]に入学するも、家庭の事情により、同年に[[東京都立桜町高等学校]]へ転校。
* [[19611958年]] [[新潟県立新潟中央高等学校]]に入学するも家庭の事情により、同年に[[東京都立桜町高等学校を卒業し、[[武蔵大学]]経済学部経営学科に入学へ転校
* [[1961年]] 東京都立桜町高等学校を卒業、[[武蔵大学]]経済学部経営学科に入学。
* [[1965年]]、武蔵大学を卒業後、[[日本経済研究センター]]に入職し、1987年まで同センターの研究員を務める。その後は母校である武蔵大学や[[立教大学]]、[[法政大学]]などで非常勤講師を務めた。
* [[1965年]] 武蔵大学卒業
* [[1990年]]1月、慶應義塾大学より[[博士(商学)|商学博士]]。論文は「日本の雇用調整 -オイル・ショック以降の労働市場」。<ref>[http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000000230495-00 博士論文書誌データベース]</ref>
* [[1992年]]、お茶の水女子大学に助教授として招聘され、生活科学部人間生活学科にて教鞭を執る。[[2002年]]にお茶の水女子大学文教育学部人文科学科の教授に昇任し、ジェンダー学の研究並びに指導を行った。
=== 職歴 ===
* この間、[[2000年]]には[[慶應義塾大学]]より[[博士(商学)]]を授与された。また、[[日本銀行政策委員会]]審議委員、[[東京放送ホールディングス|東京放送]]番組審議委員を歴任するなど、社会的活動も年新に行った。
* [[20081965年]]4月、お茶の水女子大学教授を退任後、 [[日本司法支援経済研究センター(法テラス)理事に就任。]]入職
* [[1987年]] 同退職。
* 2008年10月、[[日本政策金融公庫]]社外監査役に就任。
*: [[1965年]]、武蔵大学を卒業後、[[日本経済研究センター]]に入職し、1987年まで同センターの研究員を務める。その後は母校である武蔵大学や[[立教大学]]、[[法政大学]]などで非常勤講師を務めた。
* [[2009年]]4月、[[人事院]][[人事官]]に就任(これにともない、法テラス理事と日本公庫社外監査役は退任)
* [[1992年]] お茶の水女子大学生活科学部人間生活学科助教授
* [[2013年]]3月、任期満了により、人事官を退任。
* [[1998年]][[4月1日]] 同休職、[[日本銀行政策委員会]]審議委員就任
* 2013年、[[瑞宝章|瑞宝重光章]]受章。
* [[2000年]][[3月31日]] 同満期退任、お茶の水女子大学生活科学部人間生活学科助教授(復職)
* [[1992年]]、お茶の水女子大学に助教授として招聘され、生活科学部人間生活学科にて教鞭を執る。[[2002年]] お茶の水女子大学文教育学部人文科学科教授に昇任し、ジェンダー学の研究並びに指導を行った
*: この間、[[2000年]]には[[慶應義塾大学]]より[[博士(商学)]]を授与された。また、[[日本銀行政策委員会]]審議委員、[[東京放送ホールディングス|東京放送]]番組審議委員を歴任するなど、社会的活動も年新に行った。
* [[2008年]]4月 お茶の水女子大学教授を退任、日本司法支援センター(法テラス)理事に就任。
* [[2008年]]10月 [[日本政策金融公庫]]社外監査役に就任。
* [[2009年]]4月 [[人事院]][[人事官]]に就任(これにともない、法テラス理事と日本公庫社外監査役は退任)
* [[2013年]]3月 任期満了により、人事官を退任。
=== 受章 ===
* [[2013年]]、[[瑞宝章|瑞宝重光章]]受章。
 
== 著書 ==
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