「ウィリアム・キッド」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
編集の要約なし
1行目:
[[ファイル:William Kidd.jpg|thumb|right|200px|thumb|ウィリアム・キッド]]
[[imageファイル:Captain Kidd hanging.jpg|leftright|200px|thumb|縛り首になったキッド船長]]
'''ウィリアム・キッド'''({{En|'''William Kidd'''}}、 [[1645年]] - [[1701年]][[5月23日]])は、[[スコットランド]]西部生まれの[[私掠船]]、[[海賊]]船の[[船長]]。'''キャプテン・キッド'''の別名が広く知られている。
 
13 ⟶ 14行目:
[[1698年]][[1月30日]]、キッドは商船のクェダ・マーチャント号(Quedah Merchant)を発見し、略奪を決意する。相手の警戒を解くため、フランス国旗を揚げて接近し、商船もフランス船であるかのように振舞った。相互の船は接近し、キッドとその乗員は略奪を開始するが、略奪がほぼ終わってからキッドはこの船がイギリス船であることに気がつく。乗員と所有者に船を返すべく相談を持ちかけたが、相手方乗員は提案を拒絶し、これ以後キッドは2隻の船団を率いることになる。
 
[[image:Captain Kidd hanging.jpg|left|200px|thumb|縛り首になったキッド船長]]
1698年[[4月1日]]、キッドとその船団は[[マダガスカル]]島に到達する。この地でキッドは初めて海賊と遭遇する。かつてキッドの下で副船長として働いていたが、船を盗み海賊として活動している[[ロバート・カリフォード]](Robert Culliford)とその船モカ・フリゲート号(Mocha Frigate)である。キッドは襲撃を決意し、乗員に船を捕らえるように指令を出すが、乗員のほとんどが謀反を起こし、カリフォードに合流してしまう。わずか13人の船員しかキッドの元に残らず、キッドは帰国を決意する。アドベンチャー・ギャリー号を燃やして破棄し、もう1隻のクェダ・マーチャント号で出発する。
 
28行目:
[[エドガー・アラン・ポー]]の『[[黄金虫]]』、[[ロバート・ルイス・スティーヴンソン]]の『[[宝島]]』がそれらの作品の代表作である。キッドが立ち寄ったとされる[[ノバスコシア州]]のオーク島やキッドの活動拠点の1つであった、[[ニューヨーク湾]]に位置する[[ガーディナーズ島]]で今も財宝探しが行われている。米[[インディアナ大学]]のチームによって、[[ドミニカ共和国]]の保養地カサ・デ・カンポ沖にある[[カタリーナ島]]近海で、クェダ・マーチャント号とみられる船が発見された(2007年12月13日発表)。そしてアドベンチャー・ギャリー号についても、[[サント・マリー島]]の近くの海底で財宝とともに発見したと{{仮リンク|バリー・クリフォード|en|Barry Clifford}}が発表した<ref>[http://www.afpbb.com/articles/-/3047745?ctm_campaign=nowon_photo 海賊キャプテン・キッドの財宝発見か、マダガスカル沖] 2015年5月8日配信 2015年5月12日閲覧</ref>。
 
[[日本]]の[[トカラ列島]]に浮かぶ[[宝島 (鹿児島県)|宝島]]も、キッドが財宝を隠したという言い伝えが残っている<ref name="toshima HP">[http://www.tokara.jp/profile/takara.html 宝島について] - 十島村役場HP</ref>。
 
== 出典 ==