「永田竹丸」の版間の差分

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== 人物 ==
「[[漫画少年]]」の常連投稿者で、[[森安なおや]]に誘われる形で[[田河水泡]]に師事する。その後『[[新漫画党]]』にも入党。[[トキワ荘]]の通い組としても知られている。端正な画風とほのぼのとしたストーリーで、1950年代を中心に人気漫画家となった。当時、漫画で初めて[[スクリーントーン]]を導入した人物としても知られ、その後は漫画家仲間の間であっという間に浸透したという。『ビックルくん』で第1回[[講談社児童まんが賞]]を受賞。
 
1960年代中盤は、[[日本基督教団]]の冊子に、代表作となった『おにいちゃん』を長期にわたり連載する<ref>やや特殊な誌面での連載ではあるが、宗教色は皆無の生活コメディ作品である。</ref>この時期にはTCJ(現・[[エイケン (企業)|エイケン]])や[[ピー・プロダクション]]に在籍していたこともある。
 
1970年代以降の一時期、[[藤子不二雄]]のチーフ[[アシスタント (漫画)|アシスタント]]をしながら細々と自作の幼年向け漫画を執筆していた。
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* ビックルくん([[講談社]]、1960年)
* トキワ荘青春物語(蝸牛社、B5版1987年6月発行/A5版1989年5月発行/文庫版1995年12月発行)
*:※「手塚治虫&13人」名義として共著
* ものしりママのチエ子さん([[芳文社]]、1993年1月発行)
* おっと!おヨメちゃん(ゆう・もあ漫画館、1990年11月発行)
 
== エピソード ==
* [[藤子不二雄A]]の『[[まんが道]]』では、実家の庭に離れ家を作ってもらい羨ましがられる、というくだりがあるが、実際には母屋の損傷が激しく、部屋のほとんどが使い物にならなかったためにやむなく離れ家を建ててもらったという。
* 漫画にスクリーントーンを初めて使った人物ではあるが、後進の漫画家達がスクリーントーンを多用することを批判している。
* [[唐沢なをき]]の漫画『[[電脳なをさん]]』で『おにいちゃん』の[[パロディ]]が描かれたことがある。
* 『[[テレビマガジン]]』の「[[小さな親切運動]]」紹介ページに、[[4コマ漫画]]『シンセツくん』を連載していた。
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* [[たちいりハルコ]]
 
== ==
<references />
 
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{{DEFAULTSORT:なかた たけまる}}
[[Category:日本の漫画家]]
[[Category:ピー・プロダクションの人物]]
[[Category:東京都出身の人物]]
[[Category:1934年生]]