「チワン族」の版間の差分

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{{中華圏の事物
| 画像=[[ファイル:Madame Xian.jpg|80px]][[ファイル:Lu Rongting.jpg|69px]][[ファイル:Cen Chunxuan (1).jpg|82px]]<br />[[ファイル:Huang Xianfan Graduation Photo.jpg|76px]][[ファイル:Lu Tao.jpg|75px]][[ファイル:Weiguoqing.jpg|84px]]
| 画像の説明=チワン族の著名人の写真<br />[[冼夫人]] • [[ 陸栄廷]] • [[岑春煊]] <br />[[黄現ハン|黄現{{lang|zh|璠}}]] • [[盧燾]] • [[韋国清]]
| 簡体字=壮族
| 繁体字=壯族
|画像の説明 = [[広西チワン族自治区]][[竜州県]]の板池“美人村”のチワン族
|人口 = 1854万人(2010)
|居住地 = {{CHN}}[[広西チワン族自治区]]人口:14.207.143人(2000)[http://tongji.cnki.net/kns55/indexlist.aspx?areacode=xj20###]<br/>[[雲南省]]人口:1.144.021人(2000)[http://tongji.cnki.net/kns55/indexlist.aspx?areacode=xj25###]<br/>[[広東省]]人口:570.200人(2000)[http://tongji.cnki.net/kns55/indexlist.aspx?areacode=xj19###]<br/>[[貴州省]]人口:52.065人(2000)[http://tongji.cnki.net/kns55/indexlist.aspx?areacode=xj24]<br />[[海南省]]人口:50.507人(2000)[http://tongji.cnki.net/kns55/indexlist.aspx?areacode=xj21]<br/>[[湖南省]]人口:23.559人(2000)<br/>[[河北省]]人口:20.832人(2000)<br/>[[浙江省]]人口:18.998人(2000)
|言語 = [[チワン語]]
|宗教 = 主に[[道教]]、[[仏教]]
 
== 歴史 ==
[[嶺南 (中国)|嶺南地区]](ほぼ現在の広東・広西)の原住民族として長い歴史を持っている。数万年前の頃から、チワン族の祖先たちはすでに中国の南方で生活していた。[[周]]代([[春秋時代|春秋]][[戦国時代 (中国)|戦国]])の頃は[[百越]]と呼ばれる諸民族の一派で、[[駱越]]、[[西甌]]などの国家を築いた。[[漢]]代に[[南越国]]の支配下に入り[[中華]]文明の一部となったが、[[隋]]代までは、[[部落制]]社会が続いた<ref>黄現璠、 张一民、黄增庆、『[[チワン族通史]]』pp183-191(秦漢時代のチワン族社会的性質)、1988年、広西民族出版社、南寧、ISBN 7-5363-0422-6/K·13[http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%AF%E3%83%B3%E6%97%8F%E9%80%9A%E5%8F%B2]</ref>。[[唐]]代に[[封建制度]]社会に移行し、[[明]]代には少数民族首長の世襲支配を認める[[土司]]制度が行われた。勇猛なチワン族の兵士は「俍兵」(「狼兵」)と呼ばれ、瓦氏夫人に率いられた田州俍兵が[[倭寇]]鎮圧に動員されたこともある。[[清]]代になって改土帰流が行われ、直接支配地域になった。[[漢民族]]との接触の歴史が長く、経済活動に必要性があるため、[[漢語]]も広く浸透した。
 
近代には[[1850年]]に[[太平天国の乱]]が広西の金田村で始まったため、チワン族も多数参加した。[[1929年]]から[[1932年]]にかけて[[トウ小平|{{lang|zh|鄧小平}}]]が広西で指導した右江革命根拠地にも多くが参加し、中国では革命的伝統が称えられる。日中戦争時には日本軍との戦いに参加する者もいた。
[[1952年]]12月、[[広西省]]西半分に[[桂西チワン族自治区]]が成立し、[[1956年]]自治州に改められた。[[1958年]]には、中国の少数民族としては、[[モンゴル族]]、[[チベット族]]、[[ウイグル族]]、[[回族]]と並び、「省」と同格の民族自治区「広西チワン族自治区」が設けられ、広西省全域に拡大して、今日の[[広西チワン族自治区]]となった。
 
== 人口と分布 ==
[[ファイル:Babao Town in Guangnan County.jpg|left|thumb|300px|チワン族の伝統的生活地域 - [[雲南省]][[文山チワン族ミャオ族自治州]][[広南県]]八宝鎮]]
中国少数民族のうち人口は最大で、[[2000年]]の第5回全国人口調査統計によると男性は837.67万人、女性は780.2万人の計1617.88万人<ref>{{Cite web|date=|url=http://www.stats.gov.cn/tjsj/ndsj/renkoupucha/2000pucha/html/t0201.htm|title=全国各民族分年齢、性別的人口|publisher=中華人民共和国国家統計局|language=中国語|accessdate=2012年1月15日}}</ref>。また、都市部には22.37%、農村部には77.63%が住んでいる。[[2010年]]の第6回全国人口調査統計の速報によると、チワン族の総人口は約1800万人に達している<ref>この人口は、例えば[[ポルトガル]]の約1050万人、[[ハンガリー]]の約1010万人、オランダの約1630万人(いずれも2005年調べ)などの国民数より大きい規模である。</ref>。居住地域としては9割以上が広西チワン族自治区内であるが、他に[[広東省]]、[[貴州省]]、[[雲南省]]、[[湖南省]]などに広がっている。自治区内では分布は全域あまねく広がっているが、人口では首府である[[南寧市]]に約400万人、[[柳州市]]に約200万人が集中し、[[百色市]]、[[河池市]]などの地区でも主な民族として多く居住している。他省では、[[1958年]][[雲南省]]東南部に[[文山チワン族ミャオ族自治州]]が、[[1962年]][[広東省]]北西部に[[連山チワン族ヤオ族自治県]]が設置されている。どちらも広西に接する場所で、文山に約110万人が、連山に約50万人が住んでいる。
 
== 言語 ==
[[Image:Lwg roegbit.svg|thumb|子鴨を意味する古壮字(上)と現代チワン語(下)]]
独自の言語、[[チワン語]](壮語)がある。南北二大方言があるが、基本的に文法構造や語彙は同じである。以前は[[漢字]]の[[六書]]の手法を応用してチワン語の音声を表現する[[古壮字]]という文字を用いていたが、1300年以上の歴史がありながら、標準化がなされなかったためにあまり普及せず、政府は[[1957年]]にチワン族のために[[表音文字]]の[[ローマ字]]と[[ロシア]]の[[キリル文字|キリル系文字]]と[[アラビア数字]]を応用してチワン文を制定した。[[1982年]]には修正が行われて、ローマ字だけで表記できるようになり、チワン語の[[新聞]]、[[教科書]]なども出版された。中国の[[通貨]][[人民元]]の紙幣には、[[中国語]]、[[モンゴル語]]、[[チベット語]]、[[ウイグル語]]と共に旧表記の[[チワン語]]の表示がある。区内の行政機関や[[鉄道駅|駅]]の[[看板]]、表示には漢字とともにチワン語の表記がなされていることが多い。都市部に住むチワン族は日常的に[[中国語]]([[広東語]]など)を使用している。
 
=== 食文化 ===
食文化としては[[米]]食中心であるが、一年を通じて野菜がとれる環境にあり、[[ハクサイ|白菜]]、[[ウリ|瓜類]]、豆類などの野菜を多く食べる。農家は自宅で[[ブタ]]、[[ニワトリ]]、[[ガチョウ]]などを飼育して食用とし、一部には[[犬食文化]]や[[ヤギ]]の料理もあるが、草食で農耕に必要な[[スイギュウ|水牛]]や[[ウマ|馬]]は一般に食べない風習をもつ。行事食に[[糯米]]は欠かせず、旧暦3月3日の「三月三」の祭の時に客のもてなしに食べる五色飯(ハウナンハーサク、haeuxnaengj haj saek)は、炊く前の糯米に赤フジバカマ、黄飯花、楓葉、紫藤などの[[植物]]の汁をそれぞれ浸たして赤、黄、黒、紫に着色したもので、白飯と合わせて五色にする。春節と端午の節句には、どの家も駝背粽」(」([[猫背]]の[[ちまき]]、faengx)を作る。作り方は、質のいい[[糯米]]を水に浸した後、洗った[[シュロ|棕櫚]]の一種rongdaijの葉で包む。包む時に中に[[リョクトウ]][[餡]]や[[アズキ|小豆]]餡または、味付けした[[豚肉]]を入れて両端を平たく丸め、真中を隆起させ、猫背のようにする。大きいものは1キログラムほどの大きさになり、小さいのもでも500グラムはあるので、長い時間煮なければならない。祭りの時のプレゼントとして重宝される。ほかに、[[端午の節句]]の細長いちまき「羊角粽」(faengxgaeuyiengz)や草木灰の[[灰汁]]を加えて作る[[あくまき]]もある。他に特徴的なものでは、[[臼]]と[[杵]]で[[餅]](ceiz)を搗いたり、[[刺身]]に似た「魚生」を食べたり、[[ビンロウ|檳榔]]の実を噛む習慣がある。春節、三月三、重陽節の[[ハレとケ|ハレ]]の料理としては、内臓を取って[[ショウガ]]を入れた鶏を丸ごと煮る白斬鶏が一般的であり<ref name=bungai>梁庭望、『壮族文化概論』pp439-440、2000年、広西教育出版社、南寧、ISBN 7-5435-2292-0</ref>、婚礼では[[広東省]]の漢族や[[ベトナム人]]同様に小豚の丸焼きも用意される。
 
=== 習俗 ===
伝統的に来客を好み、見知らぬ客でも厚くもてなす。同じ民族間ではよく団結し、時に山塞を構える。農業には勤勉だが、商業を嫌う傾向がある。タイ系民族一般に見られる特徴だが、[[女性]]がよく働き、農作業も行う。男性は勇猛でよく戦う。
 
== 祭日 ==
[[ファイル:Zhuang dance.jpg|right|thumb|300px|チワン族の伝統的「三月三」舞踊]]主な祭日、年中行事に旧暦[[1月1日]]から15日までの[[春節]](シン、cieng)、[[2月2日]]の[[土地公]]祭(豊作祈願)、[[3月3日]]「三月三」、[[5月5日]]の[[端午の節句|端午節]]、[[7月14日]]、[[7月15日|15日]]の中元節([[盂蘭盆会]])、[[8月2日]]の土地公祭(豊作祝い)、[[8月15日]]の[[中秋節]]、[[9月9日]]の[[重陽|重陽節]]があり。春節、三月三、重陽節が重視される。
 
=== 歌節 ===
旧暦の[[3月3日]]「三月三」(サームニッサーム、Samnyied sam)は、墓参の後、多くの人々が着飾って歌を歌い上げる祭典、「'''歌節'''」(かせつ)が行なわれる祝日となる。元々、[[歌垣]]と呼ばれる男・女間で即興の歌を歌い、[[愛情]]を伝え合うという風習もあり、チワン族の居住する地域を「歌の海」と表現されることもある<REF>{{Cite book |author=[[松岡格]] |date=2008年 |title=中国56民族手帳 |page=15ページ |publisher=マガジンハウス |isbn=978-4-8387-1887-0 }}</REF>。チワン族の「三月三」は観光資源として注目され、民族舞踊や「歌合戦」などを披露するイベントも行われている。ただし農村部や山間部では、昔ながらの歌交換の風習が残っている。
 
* [[岑毓英]] - 清の軍人・政治家、チワン族で初めて総督に出世した人物である。
* [[李文彩]] - 清末の民衆反乱の指導者。
* [[盧燾]] - 中華民国の軍人・政治家、1921年5月、孫中山から黔軍([[貴州省|貴州]]軍)総司令兼貴州省長に任命された。
* [[韋抜群]]- 中華民国の軍人・政治家。
* [[黄現ハン|黄現{{lang|zh|璠}}]] - 中華人民共和国の歴史学者、民族学者、中国チワン族史学の創立者、中国現代民族学研究の先駆者のひとりとされ、中国壮学研究の第一人者として知られ、八桂学派の創始者。
{{Commonscat|Zhuang people}}
* [http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=426 チワン族(壮族)(Record Chinaによる写真と概要)]
* [http://japanese.china.org.cn/ri-shaoshu/zhuang.htm チワン族 (zhuang zu Zhuang ethnic minority group )]
 
{{中華民族}}
 
{{DEFAULTSORT:ちわん}}
[[Category:チワン族|*]]
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