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'''鈴木 重武'''(すずき しげたけ)は、[[平安時代]]中期の[[武将]]。[[穂積氏|穂積姓]]、[[藤白鈴木氏]]の当主。父は[[鈴木重実 (庄司)|鈴木重実]]、母は[[侍従]]・[[藤原定時]]の娘。妻は眞砂清行の娘、子に[[鈴木重康 (庄司)|重康]]。通称、鈴木庄司。官位は[[掃部寮|掃部允]]。
 
== 概要 ==
[[長元]]元年([[1028年]])の6月に前上総介・[[平忠常]]が謀反を起こした際、追討のため中原成道に随行して東国に下向した。[[永承]]7年([[1052年]])9月15日に81歳で没した。
 
== 系譜 ==
*父:[[鈴木重実 (庄司)|鈴木重実]]
*母:[[藤原定時]]の娘
*妻:[[眞砂清行]]の娘
**男子:[[鈴木重康 (庄司)|鈴木重康]]
*生母不詳の子女
**男子:鈴木重孝 - [[下総鈴木氏]]の祖。
**男子:鈴木重親 - [[那智鈴木氏]]の祖。
**女子:田屋権大夫室。
 
== 参考文献 ==